大衆紙報道に差し止め願い

ドイツ・ハンブルクで生まれ、英国で育ったブラウン氏は、10代の頃から他の男の子に性的な興味を抱いてきた。しかし、当時、男性同士の愛の行為は違法であることに加え、同性に性的な興味を持ったり、何らかの行動を起こしたことを口に出すような雰囲気ではなかったという。ケンブリッジ大学でも興味を引く男子学生はいたが、ばれてはいけないと思い、禁欲生活を続けた。

父の勧めでBPに入社し、辞任・退職までこの会社で働いた。何度かアバンチュールを楽しんだが、「公的生活と私的生活は別」という認識で、家族にも友人たちにも同性愛者であることを告げないままで過ごした。

役職が高くなるにつれて同性愛者であることが絶対にばれないようにという思いがますます強くなった。そこで利用したのが、パートナーを見つけるための専用サイトだった。

そんなサイトの1つで知り合ったカナダ人男性と親しい関係になり、3年間交際した。パーティーなどで一緒に出かけたときに友人たちからどうやって知り合ったかを聞かれると、専用サイトを使ったことを知られるのが恥ずかしく、「公園でばったり会った」とすることにした。

この男性に対する熱が醒め、送っていた支援金を停止。すると男性は継続した支援を求めて、ブラウン氏に頻繁に連絡するようになった。男性の訴えを無視してきたブラウン氏に衝撃が走ったのは2007年1月。

男性は一連の事情を大衆紙メール・オン・サンデーに売っていた。同紙の記者がこの話を記事にするとBPの広報部に伝えてきたのである。

記事が出れば、すべてを失うと思ったブラウン氏は弁護士を雇い、高等裁判所に報道差止め令を出すように求めた。裁判所には男性と「公園で出会った」と説明した。

それから2週間後、ブラウン氏はウェブサイトではなく公園で出会ったと証言したことを気にするようになり、証言を訂正した。この点が、後で偽証罪になる可能性につながった(ただし、裁判所はこれを追及しなかった)。

高等裁判所が差止め令の解除に動くと、ブラウン氏は最高裁に控訴。しかし控訴が認められないことを推察し、辞任への準備が始まってゆく。

2007年5月、控訴は認められず、ブラウン氏と男性との恋愛事情をデイリー・メール紙(メール・オン・サンデー同様に、アソシエーテッド・ニューズペーパーズ社が発行)などが大きく報道した。

辞任の日、ブラウン氏は報道陣が群がる会社の正面玄関から出て行くことを決意した。