外国籍選手や家族のサポート

ー遠藤さんがお世話を担当した外国籍選手との思い出を教えて下さい。

遠藤氏:呂比須ワグナーさん(1997-1998)で言うと、本田技研からベルマーレに来て、ちょうど日本に帰化するタイミングでした。彼自身と彼の家族の人生の分岐点に立ち会えましたね。そのまま日本代表選手として(1998年の)フランスW杯に出場しましたし。そこに一緒に関われたのはすごく良い思い出ですね。

家族の出産にも立ち会いました。日本で妊娠がわかって、そこからずっと産婦人科に通って、日本で出産をする。めちゃくちゃ感動して、奥さんよりも私が泣くことがありましたね(笑)。選手の手術に立ち会ったときは、通訳中にオペ室で私が倒れたりとか(笑)。ブラジル人選手やその家族に、ブラジルに招待してもらったことも良い思い出です。

(短大を卒業したばかりの)私自身が世の中のことを全然わかっていない感じでしたけど、外国語を覚えるのも含めて、どうやって人をサポートすれば良いかを考えるのに必死でした。

ー外国籍選手やその家族にとって、心強い存在だったと思います。選手や家族から言われたことで、印象に残っているものはありますか?

遠藤氏:(遠藤さんは)家族の一員とよく言われましたね。毎日、どこかしらの家で夕食を一緒にとっていたので。3年前位にホン・ミョンボさん(元韓国代表DF。1998年までベルマーレ平塚に在籍)に会いましたけど、彼の奥さんが「さちえは今でも家族のような存在」と言ってくれたみたいです。この言葉はすごく嬉しかったですね。

ただ、サポートしすぎると私無しでは困るという状況が生まれてしまうんです。私無しでも日本での生活が問題なく、楽しく送れるようにしたかったですし、友達も作ってほしかった。「本当に困ったときはすぐに駆けつけるけど、なるべく自分でできるようになったほうが良いよね」。この塩梅を見極めるのに何年かは苦労しました。


2018YBCルヴァン杯 写真提供:湘南ベルマーレ

クラブの生命線「広報」の仕事

ー2000年に湘南ベルマーレに改名、翌年に遠藤さんはクラブ広報に就任されています。「広報はクラブの生命線だと思っている。重要な仕事だけど、できるか?」と眞壁潔さん(現代表取締役会長兼社長)から言われたそうですが、この言葉の重みを今どう感じていらっしゃいますか?

遠藤氏:年々重く感じますね。(クラブの情報が)メディアの方を介して一般の方々に届きますし、広報が皆さんの玄関口にあたるので。広報の仕事をやってみたいという気持ちがあったなかで、「重い仕事だけどやれるか?」と、眞壁さんから最初に言われたのが良かったなと思っています。あれで本当に背筋が伸びました。

ー報道陣に対し口を閉ざしたり、囲み取材等で自分の考えを的確に表現するのが苦手な選手もいたと思います。このような選手にはどう向き合い、どんなアドバイスを送りましたか?

遠藤氏:不得意だからやらないようにするというのは無しにしてますね。(話すのが)得意な選手ばかりを取材してもらう形にはしないようにしていて、不得意な選手こそ積極的に取り組んでもらい、慣れてもらうようなアプローチはしています。

また年齢に関係なく公平であることも大切だと思っています。例えば、若い選手ばかりに指摘するとかじゃなくて、もしベテランの選手でもやるべきことをやっていなかったとしたら同じように言うべきだと思います。人によって対応を変えないようにしています。ただ最近は、若い選手たちも自分の考えを持っていて、それを言葉にする力があると感じています。

ーミックスゾーンで報道陣に呼び止められているのに素通りした選手に、遠藤さんが怒ったこともあるそうで。

遠藤氏:過去にはありましたね。今はそれをする選手はいないですけど。ミックスゾーン(でのメディア対応)は義務ですし、人に呼び止められているのに素通りするのは、人間としてやってはいけないことなので。人前でそれを注意するかは別として、その選手の将来にとっても良くないことなので、スタッフが指摘すべきだと思っていました。


ベルマーレクラブカンファレンス 写真提供:湘南ベルマーレ