いまはアップルミュージックやAmazonプライムなどに代表されるいわゆる「サブスクリプション」と呼ばれる定額制の音楽視聴が主流で、単体のミュージシャンのCDを購入して聞くこともあまり多くはない。
インターネットが当たり前のインフラになり、どんなジャンルの音楽でも手軽にアクセスできるようになった。これ自体は悪いことではないと思う。しかし、あなたが検索してヒットした楽曲の最初の評価は「どのくらい再生されているのか?」という指標になっていないだろうか。これを僕は危惧している。
先に伝えておくが、決して数字すべてを否定するつもりはない。僕らがTHE BOOM時代に発表した「島唄」は150万枚を超えるヒットになったし、こうした数字が出るからこそ、25年もの間、音楽活動を続けてこれたというのは事実だと思う。実際、ヒット曲が出なければレコード会社などとの契約が切られてしまうこともあるし、そういう意味では数字はひとつの重要な指標といえる。しかし、過去と現在では少しその「数字」は違うのではないかと僕は考えている。
インターネットがない時代には、音楽は口コミでしか広がらないものだった。例えば、友人のひとりがテレビの音楽番組やラジオなどであるバンドに偶然出会う。これまでにない音楽を提供しているバンドで、その友人はすっかりその虜になる。CDを購入して聞く。今度はその感動を誰かに伝えたくなる。カセット・テープにダビングして別の友人に配る。それを聞いたその友人が共感し、感動する。そしてまた別の友人に広がっていく。過去、音楽はこういった広がり方をしていたのだ。
つまり、「音楽が良かったから」広がったわけである。再生数などの指標は当然ないし、ただただ楽曲の評価がされていた。それで広がったものは、本当に「音楽として」評価されたということになる。
もっとも、1990年代はオリコンを始めとするCDランキング等も指標になったため、後期は純粋に音楽が評価されて売れたかどうかは怪しい部分がある。やはり、ランキング上位だからという数字で評価されるからだ。とはいえ、ランキングはきっかけで「聞いてみてから評価する」というスタンスは強かったと思う。それが過去の音楽の評価方法だ。
視聴回数が多い楽曲は優れた楽曲なのか?プロのミュージシャンの立場として言わせてもらうと、Youtube等の視聴再生数が多いからといって、必ずしも良い楽曲とは言えないのが事実だ。プロの目線から見れば、楽曲の作り込みや歌詞の深さなど、本当に良い楽曲かどうかは判断できる。もちろん、良い楽曲だから売れるというわけでもないところが音楽の不思議なところだが、楽曲制作の「プロフェショナル」という立場から見れば、Youtubeの視聴再生数が多くても素人の域を出ない楽曲も多い。
そして最も懸念していることは、最大の指標が「視聴再生数」から始まることだ。かつては楽曲が良いから口コミで拡散された。ところがいまは「視聴再生数が多くない楽曲は、評価されていない楽曲で、良い曲ではない」という印象を持たれてしまう。
友人に推しのバンドを教えるときも「Youtubeで100万回以上再生されているバンドなんだ」などと伝えることはよくある。もちろんバズる要素を持っているのだから何かしらの魅力はあると思う。でも、より重要なのは逆の側面だ。
つまり「再生数の少ない楽曲が、優れていない。良い音楽ではない。」という価値観である。かつてはマイナーなミュージシャンやインディーズバンドなど「知られていないこと」が希少価値だった時代もあったが、いまは視聴数が多い方が王様だ。極端な言い方をすれば、いまは楽曲を評価しているのではなく、数字を評価しているのである。