異論を吐いたからといって刑務所に入れられるわけでは、もちろんない。しかし、笑いものになったり、眉を顰められたりする危険を国民は察知した。私はこれを、「ソフトな全体主義化」と名づけた。

ソフトな全体主義化の進むドイツで何が起こっているかというと、彼らがあれほど好きだった闊達な議論が消えた。それは政界も同様で、かつてライバルであった社民党は、CDUとの連立が長期化したこともあって呉越同舟状態となり、本来なら対立するはずの緑の党が、信条的にメルケル氏と一番フィーリングが合うという不思議な現象が定着した。

ドイツは静かに左傾し、左派のイデオロギーに合致しない意見は、芽が出た途端に叩き潰されるようになった。しかも、それが民主主義の防衛であるとして正当化されたのだ。

一つの意見しか通らないというのは、全体主義の始まりだ。その風潮を国民があまり気に留めなかったのは、メルケル氏がCDUの党首だったので、保守の政治家だと思い込んでいたからだ。しかし、真のメルケル氏は、人々が信じているような政治家ではなかった。

メルケル政治のもう一つの特徴は、NGOとの共闘である。特に左派NGOは、氏の政権下で強大な勢力に発展した。国民が選挙で選んだわけでもないNGOのメンバーが、オブザーバーとして国際会議に参加したり、国会や政府の管轄下の各種専門委員会などに加わり、政策に少なからぬ影響を行使したりした。

また、官界、政界、NGOの間の人材交換、いわゆる仲間内でのポストの回し合いも盛んだった。そしてNGOには毎年、公金より莫大な助成金が供与された。それらの実態については、数年も前からいくつかの独立系メディアが具体的に報道していたが、主要メディアが取り上げることはなかった。ちなみに21年に上梓された『SDGsの不都合な真実』(12人の共著・宝島社)では、私もこの問題を取り上げている。

21年9月は連邦議会の総選挙だった。その選挙戦のあいだ、すでに政界からの引退を表明していたメルケル氏は、自党の候補者の応援からは身を引いていたが、8月に開かれた国際環境グループ、グリーンピースの創立50周年記念パーティーでは祝辞を述べていた。すでに党のしがらみがなくなったメルケル氏のこの行動が、氏の政治信条を如実に表していたと思う。

その後、12月に誕生した新政権は、緑の党の加わった社民党政権となった。まさにメルケル前首相の置き土産だ。そして、政権内で一番の権力を握ったのが緑の党。それもそのはず、新政権でメルケル首相のメディア応援団を引き継いだのは、社民党ではなく、緑の党だったのだ。

緑の党が権力を持つと、NGOとの“癒着”は一層顕著になった。22年2月には、グリーンピース・インターナショナルのトップであったモーガン氏が、緑の党率いる外務省のナンバー2に抜擢された。モーガン氏は米国籍であったため、外務省が8週間でドイツ国籍を用意するという力の入れようだった。

ただ、緑の党はいささかやりすぎたようで、ハーベック氏の経済・気候保護省では、今年4月、NGOとの異常な癒着や、関係機関での大掛かりな縁故採用がスキャンダルになっている。それについて、あたかも今、初めて明るみに出たかのように報道している主要メディアだが、もちろん、彼らは前々から全て知っていた。つまり、興味深いのは、なぜ、今、これを出したか、である。

単に、緑の党のメディアとのコミュニケーションの取り方が、メルケル首相ほど巧みでなかったのか。あるいは、メディアは方向転換を図っているのか。彼らが大いに盛り立てた緑の党は、今、誰がどう見ても破綻の道を歩んでいる。

一方、国民の方も、インフレとエネルギー危機の真っ最中に、電気代がさらに高騰することがわかっていながら原発を止めてしまった緑の党を見て、ハッと気づいたということはあり得る。つい2年前、緑の党に心酔していた彼らだが、今、ふと我に返ると、何か由々しきことが進行している。

来年からはガスや灯油の暖房装置の販売が原則禁止され、その代わりに、いずれは皆が高価なヒートポンプ式の暖房装置を買わなければならないらしい。しかも、ゆくゆくはガソリン車もディーゼル車もなくなるという。しかし庶民である我々は、高いEVに手の届くのかどうか? そもそも、国が国民の消費動向を定めるのは、計画経済の手法ではないか。このままいけば、いつ産業や住宅の国有化が始まっても不思議ではない・・。

さらに国民は、ハーベック氏が住民の反対運動を抑えて国土の2%に風車を立てようとしていることや、農地を潰して太陽光パネルを敷き詰めようとしていることにも違和感を感じている。