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“ドイツのソフトな全体主義化”。陰謀論だと言われることは承知の上で、随分前からこの問題に言及してきた。ドイツで起きる出来事を真剣に定点観測するようになってすでに20年あまり、政治や世論の転換前の兆候として、メディアで使われる言葉のニュアンスが微妙に変化することにも気づくようになった。そして、ここ数年、それが雪崩のように起こっている。

2005年から2021年まで続いたメルケル政権(CDU・キリスト教民主同盟)は、最初の6年ほどは元来の保守路線に忠実だったが、それ以後は目眩く変貌を遂げた。それまで社民党や緑の党の主張していた左派的政策が、なぜか次々と実現され、しかもその度にメルケル氏は、魔法のように見事に国民を魅了した。

福島の原発事故の後、「福島が全てを変えた」の一言で加速させた脱原発もそうだった。周辺国では多くの原発、中にはソ連時代の原発まで稼働していたのだから、ドイツが脱原発をしても国民の安全が増すわけではない。しかも、原発を1基減らす毎に、代替として化石燃料による発電を増やしたので、CO2も増えた。それどころかドイツは、自国は脱原発を目指しつつ、今もフランスから原発電気を輸入している。

それでも当時、国民はなぜか脱原発は環境のためであると信じた。だから、あらゆる邪悪な反対にもめげずにそれを宣言した自らの首相を、誇りに思った。

また15年に、突然、「我々にはやれる!」と言って国境を開放した時もそうだった。周辺国は、大量の身元不明の人たちがEUに流入したことに驚愕し、すぐさま国境を閉めたが、その後、起こった複数の無差別テロをも含めて、メルケル氏の“難民ようこそ政策”がEUを極度の混乱に陥れたことは間違いなかった。しかし、この時もドイツ人は、氏の“ヒューマニズム”に感動し、自分たちの正義を世界に示すのだと熱くなったのだ。

なぜ、こんなことが可能だったのか? 実は、メルケル氏には、メディアという力強いサポーターがいたからだ。言い換えれば、メディアの力を人一倍うまく利用したのが、メルケルという政治家だった。

ドイツのメディアは伝統的に左派である。80年代から政権を握ったコール首相(CDU)が、常にメディアと死闘を演じていたのは、保守の証拠だったといえる。ところが、同じく保守であるはずのメルケル首相は、メディア、特に公共メディアとの相性が抜群に良かった。

公共メディアというのは、適度に政府批判を織り交ぜ、公平な顔をしながらも、実は政府の応援団だ。要するに、これこそが公共(=官製?)メディアとしての正しい姿かもしれないが、やり過ぎると、当然、民主主義が歪んでくる。

ドイツでも案の定、それが起こり、次第にメルケル氏と異なる意見は無視されるか、あるいは、反モラル、反人道、反民主主義などとして抑え込まれるようになった。また、AfD(ドイツのための選択肢)というメルケル政治を厳しく批判する保守の新党が伸び始めると、既存の政治家とメディアがそれを極右と決めつけ、叩き潰そうとする動きが顕著になった。

あるテレビのシーンを思い出す。市民とメルケル首相(当時)の対話の会で、その様子が放映されていた。そこで一人の男性が意を決したように、「昨今のドイツでは言論の自由がなくなってきた」と言った。すると、メルケル氏はさも驚いたように、「でも、あなたは今、公開の場でこんなにはっきりと自分の意見を言っているじゃないですか」と惚け、会場が笑いに包まれた。私はその男性に同情した。