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マツダ ラピュタ(1999年)
ダイハツ テリオスルキア(2002年)
マツダ ラピュタ(1999年)

(画像=このほかジムニーOEMのAZ-オフロードも販売、後にはハスラーOEMのフレアクロスオーバーも販売し、軽自動車はOEM専売とはいえ、ソツなくラインナップを揃えて常に一定の販売台数を稼ぐマツダのラピュタ(逆五角形グリルを採用した2000年以降のモデル),『MOBY』より 引用)
1998年以降、軽自動車をスズキからのOEMへと全面的に切り替えたマツダもkeiのOEM供給を数ヶ月遅れで受け、「ラピュタ」として発売。
最初から5ドア車が設定されており、当初はターボエンジンのみのラインナップでしたが後に自然吸気エンジン車も追加、2000年には当時のマツダのデザインアイコンだった逆五角形グリルを採用するなど独自色を強めますが、keiより早く2006年に販売終了しました。
ダイハツ テリオスルキア(2002年)

(画像=FRだけでなく4WDも設定したが、テリオスキッドをわざわざこの仕様で乗る理由は薄かった派生車テリオスルキア,『MOBY』より 引用)
FFベースのネイキッドのほか、FRベースでビルトインラダーフレーム、センターデフロック機構付きフルタイム4WDとやや本格的なライトデューティーSUVだった「テリオスキッド」の2本立てだったダイハツ軽SUV。
しかし2002年1月には両者の立場を入れ替えるようなモデル追加が試みられ、ネイキッドには角目でいかつくなったネイキッドF、テリオスキッドにはスペアタイヤを下ろしてFR車では最低地上高を下げ、スッキリした乗用車風の「テリオスルキア」が追加されました。
しかしスズキのジムニーLやジムニーJ2同様、元はクロカンというクルマが乗用車のフリをしても、本来の用途や設計思想と異なるがゆえの不自然さばかりが目立った印象で、熱心に拡販されたわけでもない実験車種だったのか、約1年ほどの短命で終わっています。