アメリカを中心に各国が実用的な武器を次々に供与し、同じ第二次大戦の敗戦国のドイツですら戦車の供与を決める中で、防弾チョッキやヘルメットの供与しか出来ない日本が議長国としてG7諸国の毅然とした覚悟・態度を示す先頭に立つというのは、風景として正直無理がある。各国首脳の中で、もっとも後にではあるが、何とかサミット前にウクライナを訪問し、頑張って覚悟を示した岸田総理の議長としての努力は多としたいが、残念ながらこの文脈で先頭に立つのは荷が重い。

そうなると(3)、すなわち、日本が自由・民主・人権・法の支配等のいわゆる欧米的価値観の重要性を国際社会の訴求する、ということが、(1)や(2)との比較という意味で相対的に、また、絶対的に今回のG7サミットの意義・メッセージとして死活的に重要になってくる。サミットは象徴的な場ということになるが、更に言えば、サミット後を見据えた今後の日本外交のセンターピンと言っても過言ではない。

ここにおいて、その訴求対象として注目されるのが、いわゆるグローバルサウスと呼ばれる、主に南半球からの諸国、具体的には、中南米、アフリカ、東南アジアから西アジア・中東の諸国ということになる。それらの国に果たして日本が、いわば「借り物」のような欧米的価値観を担いで届けることが本当に可能なのであろうか。

結論としては、日本はこの難題を何とかして解いて行かないと外交的に存在意義がない。世界の平和や安定のためには、是非とも取り組んで行かねばならない課題だ。それをどのように達成できるのか。繰り返しになるが、非常な難問である。

というのも、経産省時代を含め、主に仕事でインド、東南アジア諸国、中近東・アフリカ、中南米と、それぞれ複数回以上出張させて頂き、何度となく先方と協議に臨み、時に宴席をご一緒した経験を踏まえると、確かに、日本が欧米の価値観を担いで届けようとする態度は、彼らから見ると「痛々しく」見える印象があるからだ。説得力がない。

「日本は、かつては米欧と勇敢に戦った国なのに、なぜ、欧米の片棒を担ぐのか」 「日本は、未だにアメリカに占領されているようなものだから、自らの意思を示せず、可哀想だし、仕方ないよね」 「日本は、近隣諸国を蹂躙したのは良くないけど、ある意味で、欧米的帝国主義国家群との戦いのなかでやむを得なかったところがある。そんな中で、十分に罪を償った感があるが、未だに贖罪意識を負わされて可哀想(欧米は、まだ罪を償っていない)」

といった感情に溢れているのが実態だ。