「日本」、「日本人」で切り取ること

2017年10月5日、ノーベル文学賞の受賞者が発表されたとき、私はドイツにいた。イシグロ氏の受賞のニュースはネットで見るだけになったが、日本の報道陣がイシグロ氏の自宅に殺到していること、「日本」、「日本人」が報道の中心になっていることに驚いた。在英邦人からすればイシグロ氏は英国人であるし、何故ほんの5歳まで住んでいた国やその文化を強調するのかな、と思った。

また、イシグロ氏が自分と日本とを結びつけて評されることを好んでいないということも前にどこかで読んだ記憶があって、「イシグロ氏にとって本意ではないのでは」といらない懸念までした。

驚きは違和感、不快感に変わった。というのも、イシグロ氏の受賞で「日本出身」、「日本人であること」に焦点を当てるのは排他的な印象も与えたからだ。

「排他的」という表現には説明が必要かもしれない。

数年前、政治家蓮舫氏の二重国籍問題があった。二重国籍自体が問題視されたと言うよりも、政治家としての蓮舫氏が国籍の取り扱いを明瞭にしなかったということが問題視されたのだという見方もあるが、二重国籍が許される国英国に住む日本人からすると、論争自体が息苦しい状況に見えたものである。

「ハーフ」とは・・・

また、筆者は、両親のうちで一人の親が日本人、もう一人が外国人という夫婦から生まれた20代と30代の若者と日本で話す機会があった。両者ともに自分たちのことを「ハーフ」と呼んでいたことに衝撃を受けた。

「半分ずつの血が入っている」ということなのであろうが、何故人を「ハーフ」と「非ハーフ」に分けなければならないのか、英国に住んでいると、一種の蔑視表現のようにさえ聞こえてしまう。「二重国籍」という言葉への負のイメージ、自分を「ハーフ」と呼ぶ若者たち。「(ピュアな)日本・日本人」への執着が見えるように思った。

こうしたさまざまな文脈があって、イシグロ氏のノーベル賞受賞の初期の報道には、メディア側が必死で「日本・日本人」を探す視線を感じてしまった。「カズオ・イシグロ=英国人」ということで、なぜ満足できないのだろうか。

意外な日本とのつながり

ところが、日本のメディア報道によって、在英邦人たちは新しい現実を知った。

イシグロ氏が「自分の中には常に日本がある」、「ものの見方や世界観の大部分は日本人」と語りだしたからだ。

もしそうであるなら、イシグロ氏が日本との関係をこれまでに特に強調していなかったのは英メディアによる報道だったせいもあるのかもしれない。英国人の記者相手にわざわざ「自分の中には常に日本がある」というはずはないからだ。

日本が彼にとって重要な位置を占めるのは確かだ。イシグロ氏自身がそう言っている。2017年当時、BBCのインタビューの中でも、「日本人であることは人としても作家として重要だった」と述べている。

とは言え、出版社での会見ではドイツのメディアに「日本人の作家か、英国人の作家か」と聞かれ、「ただの作家だ」とも答えている。

英国風ユーモアがいっぱい

受賞のインタビューの際のイシグロ氏は英国流のユーモアを連発した。

例えば、「ノーベル文学賞受賞なんて、最初は冗談だと思いましたよ」、「BBCが電話をくれたので、本当かな、と。僕はBBCは信じるんです、古いタイプの人間だから」、「こんなに人が集まるんだったら、今朝髪を洗えばよかったな」。真面目なことを言いながらも、あちこちにちょっとした軽口を入れて、ほほ笑む。

受賞発表の日は妻のローナさんが髪を染めることをようやく決意した、「イシグロ家にとって非常に重要な日だった」という説明もあった。もちろん、ノーベル賞受賞の知らせの方が妻が美容院で髪を染めることより重要に違いない。

一連の受け答えを通じて、改めて思った。その軽口のたたき方、英語の発音、「自分は大したことがない人間で、そんなたいそうな賞をもらうほどじゃない」という、徹底した「自己卑下(self-deprecation)」の精神をベースにした態度など、この人は本当に英国流なのだな、と。

こういう姿を見ていたので、在英邦人はイシグロ氏を「日本・日本人という枠でくくるなんて、残念」と思ったわけである。

しかし、実は、最終的には本人が言うように、「ただの作家だ」ということであろう。どちらの国の一方に属するというよりも、現在の自分がそのままカズオ・イシグロ氏という解釈でよいのである。

受賞後の英メディアは、イシグロ氏が「その作品もその人物も気取らない・威張らない人」であることを繰り返して伝えた。作家といえばエゴが強いのが常識だが、「そんなエゴが一切ない」という表現も見かけた。落ち着いた、地に足の着いた大人なのだろう。

英国版「生きる」を見てみた。「日の名残り」にも通じるような、イシグロ氏らしいふわっとした優しさが出ているような気がした。

(ウェブサイト「論座」が7月末で閉鎖されることになり、筆者の寄稿記事を補足の上、転載しています。)

編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2023年5月1日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。