「日の名残り」のユーモア

1950年代が舞台となった「日の名残り」は、あるお屋敷の年老いた執事スチーブンスが旅に出るところから始まる。今は米国人の主人に仕えているが、以前は英国人の下で働いていた。

元主人は対ドイツ融和策を支持した人物であった。1930年代、英国の上流階級の中にはナチス、ヒトラーを好意的に受け止める人が少なからずいた。大手新聞の持ち主でヒトラーと親しい関係になった人物もいる。スチーブンスの元主人のような人物は、当時はいかにもいそうなタイプだった。

しかし、ホロコーストを行ったナチスの記憶がある現在からすれば、とんでもない、相当に「ずれた」人物である。そんな元主人に対する敬意を忘れずに抱くのが主人公の執事だ。主人の実像が見抜けずに敬意を抱き続けるスチーブンスの姿はある意味では滑稽だし、もの悲しくもある。

数日間の旅の中で、スチーブンスは自分の過去を振り返る。お屋敷で開かれた、重要人物が参加した会議、世界の将来がここで決まるという自負の下で働いていたこと、父に冷たくする自分、女中頭にいだくほのかな恋心。

ページをめくる度に、私はその華麗な文章を堪能するとともに、何度も笑った。

借り物の洋服を着て大真面目に旅に繰り出す老執事の格好を想像した。英国イングランド地方の田園光景の自画自賛の様子がいかにも古風であったり、いかにも愛国的であったり。

ストレートに「老執事が旅をしている」と読むこともできるのだが、古ぼけているだろう衣類や(おそらく)慎重に運転する様子が笑いを誘った。

ノーベル文学賞の発表をしたスウェーデン学会の人も言っていたが、カズオ・イシグロ氏の小説にはユーモア小説の大家P.G.ウッドハウスを思わせるおかしみがある。

「日の名残り」は、一見したところ、ジェーン・オースティン(「高慢と偏見」、「エマ」など)をはじめとする英文学の伝統に沿って、英国生まれの英国人が書いたようにも見える。「英国人だったら、こう書くだろうな」という感じがあった。

しかし、1950年代のことを1980年代に書いているわけだから、「かつてのイングランド人らしさ」のパロディーにもなっているように思えた。

ウッドハウスの流れを汲んでとぼけたユーモアをあちこちに入れながら綴ったこの小説は、私にとって、忘れられない作品の一つだ。

後の映画版ではこのユーモア感がすっかり消えているようで、残念な思いがした。

かつては、日本らしさを見せてこなかった

日本の雑誌「Switch」が1991年1月号でイシグロ氏の特集をしていた。早速購入し、じっくりと読んでみたが、結論として分かったのはイシグロ氏は日本とはずいぶんと離れた場所にいる、ということだった。

今この雑誌が手元にないので記憶を頼りに書くが、日本あるいは日本人らしさを求めて記事を読んだところ、インタビューは英語で行われたものを日本語にしており、彼自身に日本の記憶が強くはないようで、がっかりした。

日本で生まれ、5歳で英国に来てからは日本人の両親の下で育ったとはいっても、現在は英国人の妻がいて、子供がいて、英語で小説を書いているイシグロ氏。彼は「日系英国人」であって、私が期待するような「日本人」ではないのだと思ったものである。

その後、イシグロ氏の本を継続して買ってきたが、日本とはあまり関係ない人であることが段々分かって来て、イシグロ氏と日本をほとんど結びつけることがなくなった。

新作が出るたびに英メディアはイシグロ氏を紹介してきたが、イシグロ氏と日本を特に結びつける論調はあまりなかったように思う。イシグロ氏は堂々とした、英国の、英文学の作家として評価されてきた。

英国の中でもロンドンは移民の出身地が多彩で、「日系英国人」であれば、「英国人」の方が重要視される。「日本生まれ」はその人を定義するほんの小さな要素に過ぎなかった。

「日本語は話せない・理解できない」ということをイシグロ氏自身がごくたまに英メディアで言っていたせいもあって、イシグロ氏=日本人とは思えなくなっていた。