英国ではインフレ率が二ケタ台の日々が続いている。光熱費、生活費が急騰し、特に痛いのが小売店の食品価格が16ー20%上昇したことだ。

格差社会・英国では、収入・家庭環境・教育程度・職業の種類などで上流、中流、労働者階級の区分けが残り、労働者階級よりもさらに下の貧困層になると生活環境がかなりつらい状況となる。

社会全体の支援体制が整う前の19世紀、貧困救済の施策は不十分で、自力で生活を支えられない人は救貧院に送られた。その生活の実態を英国国立公文書館にある資料でたどってみた。

数年前、筆者は歴史的文書の調査をするため、ロンドン南西部にある英国国立公文書館(英公文書館、TheNationalArchives)に通うようになった。英公文書館はその前身の「パブリック・レコード・オフィス」の時代を含めると、約180年の歴史を持つ。英国の人口は日本の約半分だが、国立公文書館の職員数は英国は日本の約10倍、所蔵量では約3倍になる。

文書の背後にある物語をまとめて、『英国公文書の世界史一次資料の宝石箱』(中公新書ラクレ)として上梓した。公文書は社会の変容を伝える貴重な資料だ。ここでは、未収録のいくつかのエピソードを3回にわたって紹介したい。

オリバー・ツイストがいた場所は

「お願いです。どうかもう少し食べ物を下さい」

10歳にも満たないと思われる孤児オリバーが、空っぽになった皿を差し出す。

いかにも頼りなげなオリバーが、恐る恐るお代わりを要求する場面を映画『オリバー!』(1968年)で目にした方は多いのではないだろうか。原作はチャールズ・ディケンズが書いた小説『オリバー・ツイスト』(1838年)である。

オリバーが暮らしていたのが、貧困者が衣食住を提供される代わりに働くことを義務化される救貧院(「ワークハウス」)だ。

貧困者のための包括的な法律が英国で成立したのはエリザベス朝の時代である。それまでの貧困救済策をまとめて法制化した貧困法(1602年)の下、救貧はキリスト教の各教区の役割であることが明記された。一定の不動産を持つ住民が少しずつ税金(「貧困税」)を納め、これで福祉を賄った。