石破茂です。

ここ数日、報道もめっきり少なくなりましたが、宮古島周辺海域での陸上自衛隊UH-60JA型ヘリコプター事故で殉職された第8師団長・坂本雄一陸将をはじめとする諸官の御霊の安らかならんことを切に祈りますとともに、未だに見つかっていない隊員諸官の早期発見を願っています。

フライトレコーダーやボイスレコーダーも未回収であるため、原因の特定にはなお時間のかかることが想定され、軽々な評価は慎むべきですが、本来海上を飛行することが想定されていない陸自のヘリが、熊本→奄美→那覇→宮古というほとんどが洋上の長距離を飛んだのは何故だったのでしょう。

熊本から那覇までは約800㎞あり、これを最高速でも295㎞/hと言われるUH-60JAで飛ぶことは、操縦士にも搭乗していた将官にも相当の負担ではなかったかと思われます。事故機は熊本空港に所在する高遊原分屯基地の所属でしたが、同基地には固定翼の連絡機LR-2(操縦士2名の他8名が搭乗可能、最高速度580㎞/h、巡航速度440㎞/h)も配備されているはずで、これを使わなかったのは何故だったのか。

国内各地に迅速に展開する機動師団である第8師団ですから、たしかに担任区域たる南西諸島の地形等を正確に掌握する必要性があるものと思われますが、それでも熊本から奄美経由で那覇までの飛行そのものには積極的な意味は見出しがたい気もします。

また、事故機には師団長、幕僚長以下、多くの師団幹部が搭乗していましたが、同一機にこれほど多くの最高幹部が搭乗したことの妥当性も考えなければならないでしょう。

昭和18年4月、ソロモン諸島ブーゲンビル上空で、最前線視察のために山本五十六連合艦隊司令長官が搭乗していた一式陸攻の一番機が、待ち伏せしていた米軍機に撃墜されて山本長官が戦死しました。この時、二番機に搭乗していた参謀長の宇垣纏中将は撃墜されながらも生還しました(海軍甲事件)。

この例を引くまでもなく、幹部が分乗するのは組織の危機管理上当然のこととされているはずですが、今回は何故それが行われなかったのか。この点についても検証の上、仮に合理性に欠くことがあったとすれ ば、即刻改めなければならないでしょう。