コメを消化できない捕虜
だが問題は、単にコメが捕虜たちの口に合わないということだけに留まらなかった。西洋人の捕虜たちは体質的にコメを十分に消化できなかったのである。肉食中心の西洋人の消化器官には、コメなどの大量の炭水化物の消化が難しかったのである。
つまり、米食に順応するまでは、味を我慢しつつコメを食べても、消化不良を起こしてしまい結局は体に吸収されないのである。比較的環境の良かったシンガポールの捕虜収容所でも多くの者が腸炎を患った。そんな中、衛生環境の悪化に伴い赤痢が発生し、捕虜たちは消化器官に深刻な問題を抱えるようになっていった。
これはまさに日本と西洋の間の食文化の差異に起因するものである。人間の体質はその食文化の上に築かれているわけである。
泰緬鉄道建設工事当然、体力の低下は、免疫力の低下も招いていった。このような状態の捕虜たちがタイとビルマを繋ぐ泰緬鉄道の建設のため、労働に駆り出されることになった。しかも、タイとビルマの間に横たわる人跡未踏のジャングルは疫病の巣窟でもあった。
体力と免疫力を大きく低下させている捕虜たちがそのようなジャングル内での重労働に従事すれば、どのような結末を迎えるか、誰でも容易に想像できるだろう。鉄道建設に派遣された捕虜は総勢6万人。そのうちの1万2千人が命を落とした。
タイ・ビルマ国境のジャングル地帯ではマラリアやコレラといった病気が大きな脅威になったが、実は、それよりも赤痢や胃腸炎の方がより深刻であった。赤痢と胃腸炎を合わせれば捕虜の死因の第1位になる。
赤痢・胃腸炎が危険な理由は、栄養の摂取が止まると人体は自らの肉体を分解してエネルギーを得ようとするためである。そのため、急激に体重が低下し、さらに体力を失ってしまう。これを止めるには、体が吸収しやすい食料をできるだけ多く摂取することだ。
だが、泰緬鉄道の建設現場、つまりジャングルの奥地では補給が途絶えがちで、慢性的な食料不足、医薬品不足に悩まされていた。唯一、豊富にあった食料が白米であった。タンパク質やビタミンを摂取できる食物はなく、捕虜が失った体力の回復は望めなかった。
さらに、この白米のみの食事は別の病気も引き起こした。脚気である。当時、脚気は日本軍特有の病気で、その背景には日本人の白米信仰があった。その上、玄米より保存ができ、嵩も減らせる白米は遠征の輸送にも適していた。だが、それがビタミンB1の欠乏を招いた。
日露戦争における戦闘での日本軍の戦死者は約4万人といわれるが、それとは別に2万人が脚気で死亡している。そんな日本軍の管理下に置かれた捕虜たちにも、当然、脚気に罹るものが続出した。