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研究員 橋本 量則
BC級戦犯裁判を研究していると、捕虜にゴボウを食べさせた日本兵が、「木の根」を食べさせ虐待したとして戦犯裁判で罰せられたという話は本当か、とよく聞かれることがある。英軍が行った戦犯裁判に限って言えば、このような事例はない。
だが、ゴボウなどよりも余程捕虜の生死に影響を与えた食品があったことはあまり知られていない。その食品とは意外にも、日本陸軍の主食、コメであった。
日本軍による捕虜虐待の象徴として、褌一枚で骨と皮だけに痩せ細った英軍捕虜たちの写真は今なお英国のメディアに頻繁に登場するが、なぜ捕虜たちがそこまで痩せ衰えていったのか。その背景をよく調べてみると、実はコメが様々な問題を引き起こしていたことがわかった。

捕虜収容所で、栄養失調や病に苦しむ連合軍の捕虜ら(1943年撮影)Wikimediaより
本稿は、どのようにしてコメが捕虜たちの健康に問題を引き起こしたのか述べてみたい。
捕虜の口に合わないコメ第一に、コメは捕虜たちの口に合わなかった。彼らはその調理法も知らなかった。現在では、世界中で日本料理や中国料理が食されているため、西洋人もコメを食べるのが当たり前のように思われがちだが、実は当時、西洋人はコメをほとんど食していなかった。英国人はデザートのプディングにコメを使うが、主食としての大量のコメには慣れていなかった。
そんな捕虜たちの日記にはコメが不味いという記述が多く見られる。当初、彼らの中には「コメには味がない」と言って、食べることすら拒否する者も多かった。そこには、「白米を食べると脚気になる」という生半可な知識も影響していた。
だが、日本軍の捕虜となったからには、主食は日本軍の主食であるコメになる。しかも、日本人にとって白米は一種の信仰の対象であり、陸軍は兵士に対しこれを存分に食べさせることを約束していた。つまり、白米偏重の日本陸軍のもとで、コメ嫌いの捕虜たちがコメを主食として生活を送らなければならなくなったのである。
捕虜生活の当初コメを食べることを拒否した捕虜たちは当然体力を落とすことになったが、それによって失った体力は結局最後まで回復することはなかった。一度体力を落としてしまうと、その分を補い、回復させるだけの食料はもう手に入らなかったのである。