彼は政府の押収に不服申し立てとして200以上の控訴をしたが、相手は政府だ、全て却下された。その彼も尊大さと偏執性とで家族からも見離されて2015年9月に84歳で亡くなった。
筆者は彼とマドリードの空港ですれ違ったことがある。ダブルスーツ姿で胸ポケットにはチーフで飾り、体全体にエネルギーが満ち溢れいる印象を受けた。あれは1980年代のことで、RUMASAの全盛期の頃であった。
アルゼンチンに似ている日本筆者がRUMASAの例を挙げたのは、27行の銀行をグループ内に抱えてそこから必要な資金を仰ぎグループ企業に資金面で協力させたということ。即ち、グループ企業内の枠から必要以外は出なかったということだ。
これは直接比較はできないが、日本政府が必要時に赤字財政を補填するのに国債を発行して民間金融機会を介して日銀に頼っている今の日本政府の姿と筆者には二重に見えるのである。
その一方で、日本政府の負債は留まることなく増加している。外部から監査に入ることはない。それはこれまで9回のでデフォルトをしたアルゼンチン政府のやり方と良く似ている。即ち、アルゼンチン政府の毎年必要なだけの資金を補うべく紙幣を発行し、ドル建ての国債を外国に売り、財政緊縮をしたことがない。そして、歳出は留まることがない。
日本は、国債は円建てで、米国の1番目か2番目の債権国であり、対外資産は400兆円あると言っているが、それらが容易に現金化できるわけではない。しかも、国債もいずれは民間金融機関が引き受けられなくなる。即ち、日本政府に資金が不足して支払いができなくなり、公務員への給与の支給もできなくなるということなのである。
当選するための票が必要な議員に対して、有権者に犠牲を強いる財政緊縮に本格的に取り組むことなど全く期待できない。
破綻すれば自分のお金も銀行から自由に出せなくなるこららのことを鑑みると、日本政府は上述した大地震が発生すると財政破綻するということ。仮に地震の発生が少し遅れても破綻から逃れる可能性はない。
筆者が残念に感じるのは、これから将来に夢を描いて成長して行かねばならない子供たちにとって未来がなくなるということだ。
何故なら、一旦破綻すると、銀行から自由に自分のお金でさえ引き出せなくなる。企業が多く倒産する。失業者が増える。インフレの上昇もある。そして、円建て国債の負債を返済して行かねばならない責務が今の子供たちが大人になった時に背負うようになる。
このような厳しい未来に仕向けているのが今の政治家である。そして、これまで国の将来の発展を考えることなく無責任な議員を当選させてきた日本の有権者にも責任がある。