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2代目はダットサンの反撃で撃沈、ハイ!それま~で~ヨ~♪
だまって俺について来い、とばかり世界に転じた3代目が大成功!

2代目はダットサンの反撃で撃沈、ハイ!それま~で~ヨ~♪

「だまって俺について来い」名神高速10万km連続走行テストで大成功!トヨタ3代目コロナ【推し車】
(画像=日本初のティザーキャンペーンとも言われる大胆な広告を打った2代目コロナだが、デザインは褒められても品質と耐久性に難があって初代310ブルーバードに敗れた、『MOBY』より引用)

短期間の泥縄で作った初代コロナがダットサンに惨敗、何とかしようと新型OHVエンジンP型を載せたトヨタですが、デザインも構造も古臭くては勝負にならず、1960年に発売した2代目コロナが本格的な反撃となりました。

今回はP型エンジンを除けばデザインから何から新設計でしたが、カンチレバー式の新型サスペンションや、気合を入れすぎて生産品質に難のあったボディに耐久性がないとタクシー業界から総スカンを喰らいます。

まさに植木 等「ハイ それまでヨ」2番のごとく、新型車のつもりが「見てくればかりのポンコツ」で、ガタンと止まって「ハイ、それま〜で〜ヨ〜♪」では話にならず、タクシー会社から「フザケヤガッテ、コノヤロー!」と怒られたトヨタは真っ青。

しかも日産は前年にダットサン210の後継、初代「ダットサン ブルーバード」を発売、これがまた非常によいデザインで完成度も高い小型4ドアセダンでしたから、2代目コロナが慌てて改良しても時既に遅し、反撃は大失敗でした。

1963年に参戦してクラウンやパブリカともどもクラス優勝した「第1回日本グランプリ」の成果も、翌年の第2回グランプリでは新型のプリンス スカイライン1500(2代目)に惨敗して帳消し。

さらに、初代クラウンに続いて試みた対米輸出(海外名:ティアラ)も、日本ですら通用しないクルマがアメリカで売れるはずもなく、コロナは初代、2代目と立て続けに「失敗作」で終わったのです。

だまって俺について来い、とばかり世界に転じた3代目が大成功!

「だまって俺について来い」名神高速10万km連続走行テストで大成功!トヨタ3代目コロナ【推し車】
(画像=フロントバンパーからフロントマスク左右を通り、肩口をテールまで矢のように通した「アローライン」のスピード感と、そのイメージを裏切らない高性能と耐久性の両立を実現した3代目コロナは、歴代初のヒットとなった、『MOBY』より引用)

クラウンこそ好調とはいえ、本来なら販売の主力であるべきコロナはダットサン110/210/初代ブルーバードに惨敗、初の大衆車パブリカもマツダ ファミリア(いずれも初代)に惨敗では、トヨタの量販乗用車メーカーとしての立場もそろそろ怪しいところ。

そこで一種の開き直りというか根本的に考えを改め、「ダットサンと国内でチマチマとタクシー争いをしている場合じゃない!(※連敗しましたが)輸出でバンバン儲けないと意味がないのだから、国際基準のクルマを作ろう!」と、思い切った方向転換を図りました。

やはり人間、負けた後の反省ばかりしていても後手後手に回ってロクな事にならず、時には「そのうちなんとか、な〜るだろぉ♪ by 植木 等」とばかり、無責任と言われようと過ぎた事は忘れる太い神経も必要です。

幸か不幸か、トヨタには「アメリカのフリーウェイに持っていったら、クラウンもティアラ(コロナ)もパワー、耐久性が全然不足で、てんでダメ」という失敗体験だけは豊富でしたし、1963年に栗東IC – 尼崎IC間が部分開通した名神高速など日本は高速道路時代へ突入。

タクシー業界の言う事をチマチマ聞いているより、世界中(特に北米)で通用する国際基準のクルマを作れば自動的に日本でも通用するクルマになり、高速道路だってバンバン走れるでナイノ?!

3代目コロナは繊細だけど的外れだったクルマづくりから面舵一杯全速前進、ハナから頑丈で信頼性の高い高品質なクルマを作ることにして、デザインはフロントバンパーから持ち上がったキャラクターラインがテールまで矢のように走る「アローライン」を採用。

ユーザーから親しまれたのは、スラントノーズとフロントグリルのパターンから名付けられた「バリカンコロナ」の愛称でしたが、ともかく3代目にしてようやくユーザーに愛されるクルマになって、1964年9月の発売から4ヶ月でブルーバードに初勝利!

さらに対米輸出も、性能や耐久性が満足できるレベルへ達したのはもちろん、当時のアメリカでは数少なかった「オートマも選べる小型輸入車」というのがウケ、世界へ羽ばたくことに成功します。

2代続けてコケたコロナの逆転出世作となった3代目ですが、ようやくブルーバードと対等のスタートラインに立ったにすぎず、2ドアハートトップや高性能版トヨタ1600GTの追加に始まり、モデルチェンジを繰り返しながら長く続くBC戦争はここからが本番でした。