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「GMの低価格車」から逃れられなかった、初代スイフト
GMグループからの脱却で魅せた「スズキの本気」
「GMの低価格車」から逃れられなかった、初代スイフト

ただし、スズキのやり方を認めたとはいえ、GMにとってのスズキは依然として「低価格小型車部門」に過ぎず、2000年に発売した初代スイフトは新規格軽自動車のプラットフォームを拡大し、軽SUVのkeiからサイドバネルやドアを拝借した、安普請なクルマです。
シボレーのバッジをつけたシボレー クルーズや、ワゴンRがベースのワゴンR+/シボレーMWともども、「軽自動車はいいんだけど、スズキの小型車はただ安いだけ」という印象を強めるばかりで、正直その頃のスズキ小型車のブランドイメージは最悪でした。
JWRC(ジュニア世界ラリー選手権)でイグニス・スーパー1600(※)が活躍したといっても2戦級のイメージでしたし、全日本ダートトライアル選手権でC車両(ナンバーなし改造車)のスイフト・スーパー1600が圧倒的強さを誇っても、しょせんマイナー競技です。
(※海外では「スイフト」を名乗っていたカルタスがまだ一部の国で生産中だった事もあり、初代スイフトの海外名は「イグニス」だった)
初代スイフトにも「スイフトスポーツ」は設定され、エコカー時代としては115馬力でそこそこパワフルな1.5リッターDOHCエンジン、クロスレシオの5MTはそれなりだったものの、「もっとエンジンが気持ちよく回ればいいのに」と渋い評価も受けました。
総じて初代スイフトは、「GMに作らされた、安かろう悪かろうの代表格」から脱することができなかったのです。
GMグループからの脱却で魅せた「スズキの本気」

しかし、2000年頃からのGMは流行を完全に読み誤り、パワフルな大排気量大型車やピックアップトラックに固執して、サターンのような新世代小型車や、スズキも供給していた「ジオ」ブランドの低価格小型車の扱いを縮小した結果、深刻な経営不振に陥りました。
これをスズキではむしろ好機と捉えたようで、2008年にGMグループから完全離脱(資本提携の解消)するのに先立って、「もはやGMのためではない、スズキ自身のための小型車」となる世界戦略車の開発を独自に開始。
GMグループの低価格ブランドで販売するのを考慮せずとも良いので、軽自動車ベースではないプラットフォームを新たに開発、エンジンこそ既存のM型1.3/1.5リッターでしたがハンドリングが劇的に向上し、デザインや内外装のクオリティも大幅に高めました。
もはやGMからの横槍を気にすることもなく、「スズキの本気」を存分に込めた力作、2代目スイフトは2004年11月に発売されるや絶賛され、「しょせんスズキの小型車なんてこの程度」というイメージを完全に覆します。
さらに日本だけでなくハンガリー、インド、中国で同時に生産を立ち上げて世界中へ供給すると、スズキのブランドイメージは大いに高まりました。