今やドイツの政治は、脱炭素を唱えずには1日も過ぎない。ハーベック氏は脱炭素が経済成長につながると信じているからこそ、従来の「経済・エネルギー省」を、「経済・気候保護省」に変えたのだ。

また、緑の党のオツデミア農相は、農業は自然を壊すとし、先達が何百年もかかって開墾した肥沃な農地の10%を、カエルが鳴き、蝶々が飛ぶ、ただの湿地や原っぱに戻すという。そして、社民党のショルツ首相は、政府の寛大な補助金のばら撒きが、まもなく大々的なイノベーションを生むと太鼓判を押している。

ただ企業は、ガスと電気の高騰と逼迫が常態となりつつある国では商売はできない。投資家も、産業立地としてのドイツに早くも見切りをつけ始めた。自動車や化学など、ドイツの根幹を担っていた産業が、すでに続々と電気代の安い中国や米国に移転しつつある。残された中小の下請け企業は、これから順々に倒れるだろう。しかし、緑の党も社民党も、そんなことなど知ったこっちゃない。大切なのはドイツの脱炭素。このままでは国内の産業は空洞化するはずだから、脱炭素はきっと達成できるに違いない。

毛沢東Wikipediaより

ふと思う。なんとなく毛沢東の「大躍進政策」に似ていると。経済の法則も生態系の法則も無視し、壮大で非現実的で、非科学的な計画を打ち上げ、自然を人間の力で変えられると信じているところが似ている。そして、それに対する反対意見を一切受け入れないのも同じだ。

そういえば、かつて社会主義国だった東ドイツも、果敢な5ヶ年計画を立てたが、ついぞイノベーションは起きなかった。西ドイツの自動車メーカーが次々と新しいモデルを開発していた間、東ドイツには満足な大衆車もなかった。人々の能力が劣っていたわけではない。経済政策に欠陥があったのだ。

真のイノベーションを求めるなら、政府は民間企業に自由にやらせるべきだ。しかし、実際には、経済音痴の経済相がイデオロギーに則って「禁止」や「制限」を振り回し、国民がどんな車に乗り、どんな暖房を使い、何を食べるかまで指図している。国が口を挟み過ぎると碌なことにならない良い証拠が東ドイツの姿であったはずなのに、現政府はよりによって、再びそこに立ち戻ろうとしている。

なぜ、皆、目を瞑ったまま、ハーベック氏の暴走(妄想?)を許しているのか、私にはそれだけがどうしても解せない。しかも日本では、いまだにドイツの緑の党にご執心の政治家が少なからずいるようで、それも気になる。「大躍進政策」の後追いは国を滅ぼす。絶対にやめてほしい。