クルマ好きが飢えていたFRライトウェイト・オープンスポーツ

1989年にまずはアメリカで、次いで日本本国でもロードスターが発売された時、日本では1987年に生産を終えたAE86カローラレビン/スプリンタートレノを最後に、1.6リッター級の小型FRスポーツが絶滅していました。
ましてやオープンスポーツとなると、1970年にダットサン フェアレディ2000(SR311)やホンダ S800が生産終了して以来、FFハッチバック車のカブリオレ版やマツダ自身によるRX-7カブリオレ(FC3C)があったとはいえ、小型FRオープンスポーツは皆無です。
日本での発売前には、「昔ロータスが売っていたエランの真似」とも言われましたが、実は「現代の技術で蘇ったエランのようなスポーツカー」に飢えていたユーザーは多く、発売されるや日米のみならず、世界中で大ヒットとなります。
純粋な2シーターのピュアスポーツは、もちろん家族で乗ることなどできずファミリーカーとしての実用性は皆無、たいした荷物が積めるわけでもなくスペース効率は最悪で、ただ最大2名が乗れて気持ちよく走れるだけ。
しかしその割り切りこそ、絶えて久しくユーザーが待ち望んでいたスポーツカーであったことに間違いなかったのです。
美しいデザインが一役買ったのも確かですが、基本的には気持ちよく走りたいと思った時に応えられるクルマだった事が、最大のヒット要因でしょう。
世界中の自動車メーカーは慌て、そしてついていけなかった

これに慌てたのが、「そんな古臭いクルマに需要などあるのか?」と首を傾げていた世界中の自動車メーカーで、BMW Z3、ポルシェ ボクスターなどを筆頭に、トヨタ MR-S、本家本元ロータスはエリーゼ、オペルすらロータスと共同でスピードスターを作ります。
後輪駆動だけでなくFF車でもフィアット バルケッタがありましたし、ホンダもS2000を発売、バブル時代の軽スポーツABC(AZ-1、ビート、カプチーノ)もあり、国内外の自動車メーカーが1990年代から2000年代にかけ、ロードスター的なクルマを続々発売しました。
そして、そのほとんどが一時の盛り上がりだけで消えていき、地道に続けているのはポルシェ ボクスターや、ダイハツ コペンなど限られた一部のメーカーだけです。
オープンカー以外の小排気量FRスポーツという意味では、トヨタが1.5リッターのS-FRを発表したものの結局市販を断念したように、ロードスターと二分、あるいは打倒して奪うほどの市場はなかったものと考えられます。
そうなると最初に発売して熱狂的なファンを獲得していたロードスター(海外名MX-5、またはMX-5ミアータ)のひとり勝ちですが、5チャンネル体制崩壊により「ユーノス」ブランド消滅、マツダ自体も存続の危機にさらされる中、よく続けてきたものです。
ただ「情熱を燃やす」だけではなく、「他の何をガマンしてでも、走る楽しさだけは忘れられない!」と、燃やした情熱の火を絶やさないのが肝心で、ロータリーエンジンもそうですが、これぞマツダの得意技!なのかもしれません。
2回も潰れかけては不死鳥のように復活したことといい、マツダのようにしぶといメーカーでなければ、FRライトウェイト・オープンスポーツなど、そうそう作り続けられないのでしょう。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
文・MOBY編集部/提供元・MOBY
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