「発売されたらぜひ買いたい!」と絶賛された試作ボディ

しかし、悪夢のような1970年代をかろうじて乗り切ったとはいえ、中小メーカーのひとつに過ぎないマツダには、ロータリースポーツのRX-7のほかにもう1車種、FRスポーツを作っても採算が取れるかの確信がありませんでした。
そこで1987年4月、主要市場のアメリカへプラスチック製の実物大モデルを持ち込み、220人のユーザーへグループインタビューを敢行したところ、57人が「発売されたらぜひ買いたい」と回答したのに力を得て、開発は加速します。
開発当時、広島県三次市にあるマツダのテストコース、「三次自動車試験場」では貴島氏がロードスターの試作車のステアリングを握って精力的に走り込む姿が見られました。
ある時など、他にテスト中の試作車をさっそうと追い抜き、かと思うとしばらく先でガードレールに刺さっていた、という逸話が残るほど実戦的な走行試験が行われていましたが、デザインが好評でも肝心の走りがイマイチでは駄作に終わりますから当然です。
ロードスターにとって幸いな事には、開発主管である貴島氏が会社の上層部から作れと言われたクルマではなく、自ら作りたい、乗って走りたいクルマを作りたいという情熱の果てに存在した事で、よく言えばユーザー目線、言い方を変えれば趣味丸出しの開発体制でした。
「人馬一体」にパワーはいらない

「趣味丸出し」の開発が行われて幸いだったのは、メーカー間で意地を張るようなスペック争いに巻き込まれずに済んだ、という面もあります。
1980年頃を境に、日本版マスキー法と言われた昭和53年排出ガス規制をクリアした日本の自動車メーカーは、電子制御による燃焼制御や理想的な理論空燃比で最大の効果を発揮する三元触媒の実用化もあってパワー競争を始めていました。
ターボとDOHCどちらが有利か、という論争の果てにDOHCターボが実用化され、軽自動車にまで積まれるようになって、普通車なら280馬力、軽自動車なら64馬力と自主規制が始まろうとしていた時代なので、スポーツカーならモアパワーが当然と思いがちです。
しかし、開発中のロードスターに選ばれた搭載エンジンは、電子制御インジェクションのDOHCでこそあれ、ファミリアからの転用でわずか120馬力と、実用エンジンそのものの平凡なスペックでしかないB6-ZE。
後に1.8リッター130馬力のBP-ZEに変更されたとはいえ、2代目NBロードスターで復活、3代目NCで2リッター化するも、4代目NDの日本およびヨーロッパ仕様では再び1.5リッターへダウンサイジングされたように、必ずしもパワーは必要とされません。
むしろピークパワーよりアルミボンネットなど軽さを追求した軽量ボディと、4輪ダブルウィッシュボーン独立懸架による軽快な走りが求められましたが、B6-ZE自体も気持ちよい吹け上がりや排気音のチューニングが行われ、その完成度を高めました。
よーいドン!からの加速競争や、長い直線で最高速勝負をするクルマならともかく、ドライバーの意思通りにヒラヒラと舞うように走る、人馬一体のスポーツカーには過剰なパワーなど無用なのです。