3.どうする家康・どうする岸田 ~「弱さ」からの成長・真の強さ~

また視聴率で恐縮だが、大河ドラマ『どうする家康』の数字が振るわないとか意外に健闘しているとか、巷間では色々と言われている。個人的には「意外に数字が良いじゃないか」というのが実感であるが、その要因として家康の弱さに焦点をあてていることがあるのではないかと思う。即ち、現代日本の在り方に即して考えると、ダメな家康の成長ストーリーという文脈が、比較的受けているのだと感じる。

今後の展開の予想も込めてだが、弱き家康・悩める家康が徐々に成長し、その弱さをむしろ強みにしてまさに神君となり、歴史上類をみない長期の徳川幕府約260年の基礎を築くという出世・成長の物語に現代の視聴者は、共感を覚えるのではないか(逆に、高齢の視聴者は違和感が強いかもしれない)。

この弱き家康の成長ストーリーに政治を当てはめて考えると見えてくるのが、岸田政権の支持率の不思議な上昇である。最近、大手メディア各社の支持率調査が出たが、ここに来て岸田政権の支持率が軒並み上昇している。NHKと日経に至っては、支持率と不支持率の逆転(支持率の方が良い)というところにまで押し戻している。

先日(28日(火))、茨城放送ダイバーシティニュースでの政治コメントで詳述したが、そういう状況の中で、ここ数日内の衆院解散説まで飛び出している。確かに、景気動向や野党の準備状況、上述の支持率上昇その他を考えれば、解散説もさもありなんだが、個人的には、さすがにそこまで(3月~4月頭の解散)の決断はないと思っている。しかし、それにしても、ここに来て、そんな大胆な決断をあの岸田総理がするかもしれない、という噂が飛び交うほどに、岸田総理の「強さ」が前面に出てきている。

その前の菅政権が「携帯電話値下げ」「不妊治療の保険適用」「ワクチン100万回/日」などの果断な政策を実現していたのにくらべ、岸田政権は1年たっても「何も動いてない」と揶揄されるのが常であった。ところが、1年を過ぎたあたり(昨年末)から、岸田総理は、立て続けに防衛費増額、安保三文書改定、先日のウクライナ訪問など、割と大きな決断をして、その実現に動いている。安倍政権や菅政権などであれば、大きな抵抗があって進まなかったとも思われることが、割と順調に進んでいるように見える。

自信がなく、優しい、「聞く力」だけであった岸田総理が、成長して決断を繰り返している、という「どうする家康」的成長ストーリーに、日本の絶頂のバブル時代を詳しく知らない中年・若年層を中心とした国民がある程度の共感を示しているとすれば、理解できる現象ではある。

4.ジャパニーズ(Japanese)からニッポニーズ(Nipponese)へ

かつてのギリシアは、軍事や経済の強国から、やがて相対的には、多くの詩人や学者を生み出す科学・文化系の大国となり(ラテン語のローマ人が、現在の英語的にギリシア語を学んで、ギリシア人家庭教師などを重宝したように、文化的な影響力は国力凋落後も大)、その後は完全に没落していった。

スポーツや文化大国となりつつある日本、皆の話を聞くという民主的土壌が根付いている日本をどう「自信を持って」残すか。つまり、世界がうらやむ日本を信じる人たち、国籍という意味でのジャパニーズ(Japanese)ならぬ、日本のファンであり日本的あり方と共に歩みたいと考えるニッポニーズ(Nipponese)たちをどう新しく作って行くかが今問われている気がしてならない。そうでないと、かつて没落していった世界の大国と同じになってしまう。

経済力を失いつつあり、弱弱しく、自信なく、常に「どうする?、どうする?」とおびえるだけのひ弱なエリート的日本人。バブル期以降に成人となった大人たちを中心とした「優しい」だけの聞く力の日本人。そうした我々こそが、ある意味逆ギレして、自信をもって、日本的あり方を構築し、言語化し、主張し、共感を呼び、日本や世界をつくり変えていく必要がある。自然の恵みや文化歴史の恩恵を感じながら。

岸田政権は異次元の少子化を主張しているが、人口を増やすことはそう容易ではないであろう。日本人の存在感は、文字通り、数という意味では減退していくことは間違いない。そして、外国人移民を増やすことにも限界がある。国籍を変えさせる、ということは容易ではない。

しかし、中国や東南アジアの方々を中心に、もちろん欧米人の多くも含め、結構な数の外国人が、①日本の優しい傾聴力のある民主的あり方(特に、中国やロシアでは、ロックダウンや強権的な経済規制、海外への侵攻姿勢に嫌気がさして国外に脱出したいと思っている層は多い)、②四季折々の自然の美しさ、③そうしたものから導きだされる繊細な優雅さが通底する様々な文化(食、工芸からアニメ・音楽など)、などに惹かれて、「日本人的」になりたいと考えている。いわば、戦前のような軍事強国、戦後のある時期までの経済大国ではない、新たな日本像に惹かれ・それを伸ばす新日本人像だ。

最近、シン~と呼ぶのが流行っているが、「シン」には、「新」はもちろん「真」や「深」など色々な意味が含まれ得るという。そうしたシン日本人たちは、国籍で考えるべきではない。国籍は、タイだろうと、ケニアだろうと、ルクセンブルクだろうと、中国だろうと、ロシアだろうと、アメリカだろうと構わない。無理にジャパニーズ(Japanese)になってもらう必要もない。新たにニッポニーズ(Nipponese)を世界中につくれば良い。

私たちのやる気と覚悟が問われている。我々が自信と理念を持てば、世界に良い関係人口が増える。さあ、どうする日本人。