2.自信のない、しかし優しい「日本」
ここ数十年の日本を内外から眺めている外国人、日本の背中を追いかけてきて、今や抜こうとしている中韓などのアジア勢の知人や、かつての日本と色々な意味でやりあってきたアメリカ人などに話を聞くと、彼らの多くは上記の「エリート」日本人たちと付き合うことが多いためか、日本人は元気がなくなった、と多くが思っているふしがある。
昔の〇〇社の社員は、もっと自信があった、とか、昔の××省の官僚は、もっと面白い人が多かった、などの類の言説を聞くことが多い。確かに、彼らは、定点観測的に、時代を経て同じ肩書の部署・部局にいる日本人を見続けているので感ずるところがあるのであろう。
確かに、私が通産省(当時)に入省した頃の役所の「課長」の権威は、今、同期の多くが「課長」をしている中での現状と比べて実感するが、一言で言って、確実に落ちている気がする。言ってみれば「自信無き上司」が増えているのだ。
たまにあるパワハラ事件がかつてより全然大きくクローズアップされてしまうので、反射的に見えにくくなっているが、表現は良くないが、最近は、パワハラ出来るほどの自分への信頼がある人が圧倒的に減っている(もちろん、パワハラは良くないが)。
少し前は、ブラック職場・パワハラの嵐だったので、多くの人がこれはヤバいと組織を脱出していったが、最近は、抜けられては困ると企業側が様々な「サービス」を若手に展開するようになっている。最近では、若手の要望をしっかりと聞く、1on1とか、その中での「メンタリング」「傾聴」のレベルを超えて、若者に教えを乞うという(上司が若手に教えてもらうという)「逆メンタリング」などの流れもあるそうだ。
俯瞰的に状況を見ると、もちろん「傾聴」「逆メンタリング」みたいなのも実施しないよりは実施した方が良いのではあろうが、私などは、こうした動きを何となく冷ややかに見てしまう。本質的に、若者が求めているのはパワハラ的な表現ではない形での上司の「自信」であり、そこなくしてきちんとした解決はないのだろうと思う。若者は、怒られるのは嫌だが、意見してもらって(時に叱ってもらって)成長させてもらうことは、むしろ歓迎しているとも思われる。
しかし、現状(自信無き上司が「逆メンタリング」までしてもらう流れ)自体は、ある意味で自然な流れである。この自信の無さは、言ってみれば、岸田総理が以前強調していた「聞く力」でもあり、優しさでもある。上記の日本の文化力の背景に、例えば日本のアニメファンなどに典型的に感じるが、そうした日本の「平和的在り方」や優しさというコンテンツ力も見え隠れしているような気がする。
こうした背景から来るのかどうかは分からないが、上記の国際競争力のある日本人(文化やスポーツで活躍する日本人)の中にも、成績における圧倒的な強さ・自信という強さと同時に、とても日本的な優しさ・繊細さも同時に感じる(大谷選手などが典型か)。
メタ的に言えば、こうした日本的優しさ、もっと言えば弱さ・儚さのようなものに、逆に日本人はもっと自信をもって、堂々と臨んでも良いのかもしれない。「プリンシプルに拘泥しないというプリンシプル」に「絶対の自信を持つ」、みたいな形で。一見自信なく、優しく、何でも受け入れる日本の在り方に、自信をもって突き進むということが大事な気がする。
スポーツや文化の世界で活躍する日本人たちは、それを見せてくれているのではなかろうか。個々の力がものを言うメジャーリーグや欧州のサッカーに対して、日本流のチームワークの良さにも良い所がある、という風に。