警護体制や情報管理の困難性からこの訪問に消極的な意見が政府内にあったと聞きますが、いまなお自衛隊による海外における要人警護の必要性を主張する向きが一部にあるとすれば、それは全くの誤りです。占領下でもない独立主権国家たる他国において、自国の国家主権を体現する軍隊の活動を云々するのは、軍隊と警察の基本的な相違を認識していない議論です。米国やフランスの大統領も、英国やドイツの首相も自国の軍隊を警備のために同行させたりはしていないはずです。
「G7の一員として」というのが最近の常套句ですが、我が国以外はすべてNATOの主要加盟国であることを看過してはなりません。敵を召し取る(飯取る)「必勝しゃもじ」をウクライナ大統領に贈呈するのも一つの趣向でしょうが、一方を犯罪者に擬えてその打倒を目指す限り、戦争の終結はおろか戦闘の停止すらも見通せないように思われます。
昭和天皇のポツダム宣言受諾の詔により日本民族は絶滅の危機を免れたのですが、「一億玉砕」のスローガン通りに日本民族全滅まで戦うという戦慄すべき最悪の事態が回避されたのは、同宣言12条の「日本国国民の自由に表明された意思に従い、平和的傾向を有し、且つ責任ある政府の樹立を求める」という文言と、昭和20年8月10日の日本政府の宣言受諾通知に対して8月12日に示されたバーンズ回答の「日本の最終的な政治形態は、ポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思によって確立される」という文言によるものでした。
これらによって、形態は国民の選択による立憲君主制に移行するにしても、天皇制自体が維持される可能性が確認出来たことが、「一億玉砕」の回避に大きく役立ったのだと思います。
日本敗戦直後の米国内の世論は、天皇の戦争責任について随分と厳しいものであった中で、その世論に流されることなく天皇制が維持されたことは、占領政策の円滑な遂行という意図があったにせよ、戦後日本にとっては素晴らしいことでした。
NATOからはドイツ製のレオパルド2戦車やアメリカのエイブラムス戦車が供与されますが、それが戦局を転換するものとなるかどうかはわかりませんし、ウクライナの兵士や弾薬類がどれほど消耗しているのかについても、ほとんど情報がありません。ジャベリンなどの兵器をロシアがどれほど鹵獲(ろかく)し、それがどのように使われているのかも不明です。
祖国防衛のために戦うウクライナ国民に日本と世界の多くの人々が共感し、連帯し、激励するのは素晴らしいことですが、停戦の呼びかけは必要です。広島サミットまであまり間がありませんが、単にG7の結束の確認に留まることなく、停戦に向けた討議を議長国である日本が主導することを願ってやみません。