温かかった藤枝、レベルが高かった東京V

ーこれまでに所属した4クラブでの印象的な出来事や思い出を教えてください。

鈴木:藤枝は初めてのカテゴリー(J3)ということもあって、練習場が人工芝だったり、クラブハウスも僕が行ったシーズンに出来たので、最初は「グラウンドだけがある」みたいな感じでしたから、環境面の大変さというのは感じましたね。初めて行くスタジアムも結構あって、雰囲気も全然違うし、適応するまでにちょっと時間がかかりました。

でも、藤枝はサッカーがとても盛んな街でした。僕は藤枝の隣の焼津市に住んでいたんですが、人が本当に温かくて。今、僕が飲んでいるコーヒーも、焼津から送ってもらった物なんです。当時、よく通っていたご飯屋さんのマスターが、コーヒー好きな僕のために「リトアニアでもリラックスして欲しいから」って、わざわざ送ってくれて。そういう良い出会いに恵まれた藤枝生活でしたね。

ヴェルディは最終的に契約満了で2年しかいられなかったので、クラブに対しての貢献はあまりできなかった気がしますが、そこでも良い出会いがありました。

本当に選手のレベルが高かったんですよね。今、沖縄SVの代表兼選手をやっている高原さん(元日本代表FW高原直泰)や、森勇介さん、西紀寛さん、飯尾一慶さんがいました。他にも、畠中槙之輔(現横浜F・マリノス)とか、海外にいる中島翔哉(現スュペル・リグ・アンタルヤスポル)とか前田直輝(現ユトレヒト)とか若くて将来性のある選手もいました。

とにかく、1人1人のレベルが高かったです。アビスパでたくさん試合に出て自信を付けて移籍したつもりだったんですけど、東京に引っ越して、自主トレの一環として始動前にやる遊びのミニゲームに入れてもらった時、レベルが高すぎて「とんでもないところに来たな」と思いました。そういうレベルの高い環境でやれたというのはすごく良かったですね。それに、初めての移籍だったこともあって、当時ヴェルディの社長だった羽生さん(羽生英之氏)が常に気にかけてくださっていました。羽生さん以外にも、沢山のいいスタッフに出会えましたし、短い期間であまり貢献できなかったですけど、良い人たちとの出会いが財産になりましたね。


FKスードゥヴァ MF鈴木惇(当時大分トリニータ)写真:Getty Images

一番成長できた大分時代

鈴木:(大分)トリニータでも同じように、良い出会いに恵まれました。チームが1つになるために「良い関係性を築こう」「チームのために」「仲間のために」という意識が高い集団でしたね。監督の片野坂さん(片野坂知宏監督)とは1年しかご一緒できなかったですけど、プレーヤーとして自分が一番成長できた時期だったと思います。1日1日の練習で自分にできることが増えている実感がありましたし、毎日いろんな発見がありました。

大分という街もほどよく田舎で、温かい感じがありました。当時、共用の温泉が付いているマンションに住んでいたんです。ちょうど、J3からJ2に上がった年だったんですけど、温泉に行くとマンションの人たちが応援してくれていました。最初の頃は、引っ越したばかりの新入りなので「誰だろう?」みたいな雰囲気だったんですけど、徐々にトリニータの選手だと認識され始めて、シーズンが終わる頃には、住人の人たちと「今週はあのチームと試合だね」と話しながら風呂に入っていたのが良い思い出ですね。

ー日本のサポーターの皆さんにメッセージはありますか?

鈴木:今も、SNSなどでメッセージをくれるサポーターの方がいます。そういう方々には本当に感謝しています。自分が好きでやっているサッカーですが、少しでも誰かの力になったり、楽しさに繋がっていると思うことで、自分のモチベーションも更に上がります。応援してくれる人たちに、少しでも元気を与えることができたらという思いが一番のモチベーションなので。本当にありがとうございます。


精度抜群の左足を武器に、在籍したアビスパ福岡、東京ヴェルディ、大分トリニータ、藤枝MYFCのいずれもで、多くの試合に出場して高い評価を得た鈴木惇。FKスードゥヴァでも、サポーターの心を掴み重宝されるであろうことは想像に難くない。