Jリーグで出場機会を得てきた理由
ー鈴木選手は、Jリーグで所属した全てのクラブで出場機会を得ていました。何か意識していることはありますか?
鈴木:多分、他の人と変わらないと思います。一生懸命やるしかない。僕は、好きなことや自分がやりたいことだけをやって試合に出られるようなレベルではないので。もちろん、監督がどういうプレーを求めているか、逆にどういうことをやって欲しくないのか、というのは自分なりに考えるようにしています。
ただ、試合に出られるかどうか、自分ではどうしようもない部分も多いですからね。最終的に決めるのは監督なので。監督の目に映る姿は、自分次第でいくらでも変えることができますけど、監督が頭の中でどう考えているのかは、選手にはどうしようもない部分です。スタメンの決め方も色々あると思うんですよ。ベストイレブンを決めるように、GKから順番に決めていく訳でもないでしょうし。
おそらく、まずは軸となる選手を決めるんでしょうね。11人の中で、1番最初に置かれる選手がいれば、最終的に迷って迷って11人目に入る選手もいると思うんです。でも、それを意識しすぎると、自分のプレーができなくなってしまう。自分ができることに集中した結果、いろんな要素が重なって出られていたのかなと思っています。
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福岡では「ワンクラブマン」に憧れ
ー最も長く過ごしたアビスパ福岡(2008-2012、2015-2020)では、バンディエラの城後寿選手と共にプレーしました。凄さを感じましたか?
鈴木:感じましたね。凄いです。僕、アビスパ福岡に入団した時は、城後さんとか柏レイソルの大谷秀和さん(2022シーズン限りで引退)、海外だとスティーブン・ジェラード(元イングランド代表、現・指導者)みたいな「ワンクラブマン」になりたかったんです。いつもクラブの中心にいて、クラブが上がっていく時に自分も一緒に上がる、という存在に憧れました。
でも、自分は新しい刺激がないとダメなタイプなので、今回もそういうものを求めて海外に来ました。実際に、新しい環境の中で色んなものを学び、成長できていると感じています。それは、大分でもヴェルディでも藤枝でもそうでした。ワンクラブマンは、ひとつのクラブに所属し続け、環境がそれほど変わらない中でもしっかり積み上げていく。その凄さは、こっちに来てからも改めて感じています。
福岡はユース時代から長い期間プレーしたクラブで、自分としてはアビスパがJ1に定着して何かのタイトルを獲る時は、自分もその一員でありたいという目標でやっていました。結果的にそれは叶わなかったんですけどね。アビスパの選手だったことで出会えた人が沢山いるので(もう、選手としては難しいかもしれませんが)いつかまた違う形でアビスパに恩返しができたら、という気持ちは常に持っています。
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