日露戦争は、日本人が「不敗神話」を信じることにつながり、日本海海戦での大勝利は、日本海軍に、その後、時代遅れの「大艦巨砲主義」をはびこらせた。そして、それが無謀極まりない日米開戦に導き、沖縄戦への戦艦大和の「特攻出撃」、神風特攻隊による多くの若者達の犠牲、そして、広島・長崎の原爆投下という悲惨な結末につながっていくのである。
そういう歴史からは、広島人の意識としては、日露戦争の出征兵士の必勝祈願に由来する「必勝しゃもじ」という発想は出てこない。単なる「縁起物」「応援グッズ」だからこそ、広島人の生活習慣に溶け込んでいるのだ。
岸田首相が、帝国主義的な領土拡大の最中にあった日本がロシアと戦った日露戦争での「必勝祈願」に重ね合わせ、同じようにロシアと戦っているウクライナに「必勝しゃもじ」を持参したのだとすれば、岸田首相の無神経さは、原爆投下の被害に晒された広島人の「平和を祈る心」とは凡そ相容れないものである。
広島市民に選挙で選ばれながら、広島市民とは全く思いを共有していない「東京出身の政治家」だからこその発想なのではないだろうか。
このような首相に国を委ねていくことが、今後の日本にどのような将来をもたらしていくのか、まさに背筋が凍る思いだ。