私の両親が住んだ、そして、私自身も司法試験受験生時代を過ごした実家が宇品にあったこともあって、この本のタイトルに関心を持って読んだ。陸軍船舶司令部が、太平洋戦争においても重要な位置づけであったことがよく分かった。
そして、軍都広島からは、日清・日露の戦争を始め、大陸での戦争へも多くの出征兵士が送り出されていった。そのような軍都広島の歴史の結末が、あの忌まわしい原爆投下だったのだ。
アメリカが日本に原爆を投下するにあたって、投下地の候補がいろいろあり、最初は京都も候補地の一つだったと言われている。実際に原爆が投下された広島・長崎のうち、長崎は、もともと小倉に投下する予定だったのが、天候の関係で急遽長崎になったという経緯があったと言われている。しかし、広島はそうではない。
広島は最初から原爆投下の地として選ばれていた。それは、広島が重要な軍の拠点だったからであろう。
そういう意味では、広島にとって、広島市民にとって、原爆投下という悲惨な戦争の結末の起点となったのが、日清日露の戦争であり、それ以降の「軍都」としての発展だったのだ。
日露戦争での「必勝しゃもじ」が、出征する兵士の必勝祈願の奉納で使われたのが起源だとすると、被爆地広島にとって、その「必勝祈願」は、まさにそういう広島の悲惨な戦争への道を象徴するものだったことになる。そいういうことはあまり認識されていないから、「必勝しゃもじ」を「応援グッズ」として、カチカチと無邪気に打ち鳴らすこともできるのだ。
岸田首相が、日露戦争での「必勝しゃもじ」の由来を知った上で、敢えてそれを当時ロシアと戦った日本と重ね合わせて、今ロシアと戦っているウクライナに持参したとすれば、私は、無神経さに唖然とする。
しかも、日露戦争でロシアと戦った日本と、今、ロシアと戦うウクライナを同じように考えること自体も、全く理解できない発想だ。
ウクライナを支持する国際世論というのは、ウクライナはロシアから一方的に侵略された、武力によって国土を侵奪された。そのロシアと戦うウクライナは正義だ、だから全面的に応援すべきだ、というものだろう。
日露戦争でロシアと戦った日本は今のウクライナとは全く違う。日露戦争の当時、日本は朝鮮半島を侵略して植民地にしようとし、それに関してロシアと対立していた。まさに帝国主義的な野望がぶつかりあったことで日露戦争に至ったのだ。
その戦争は、第1次ロシア革命が起こっていたロシアは戦争継続が困難となったことで、ポーツマス講和条約締結で終戦になった。しかし、この日露戦争では、多くの日本の若者たちが戦死した。大きな犠牲を代償にして、日本の勝利で終わったのだ。
歌人・与謝野晶子が、日露戦争の激戦地にいる弟を思って詠んだ歌がある。
『君死にたまふことなかれ』
ああ、弟よ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ。 末に生れし君なれば 親のなさけは勝りしも、 親は刄をにぎらせて 人を殺せと教へしや、 人を殺して死ねよとて 廿四までを育てしや。 堺の街のあきびとの 老舗を誇るあるじにて、 親の名を継ぐ君なれば、 君死にたまふことなかれ。 旅順の城はほろぶとも、 ほろびずとても、何事ぞ、 君は知らじな、あきびとの 家の習ひに無きことを・・・