ヴィーゼンタールとは生前、2度会見することができた。文藝春秋社の月刊誌「マルコポーロ」がホロコーストの記事を掲載し、その中で「ガス室」の存在に疑問を呈したことが契機で、同誌が廃刊に追い込まれたことがあった。当方はヴィーゼンタールの見解を聞くために事務所で会見した。同氏はマルコポーロ誌事件について、「ユダヤ人社会に大きな痛みを与えたばかりか、日本・イスラエル両国関係にも将来マイナスの影響を与える恐れがある」と警告した。ヴィーゼンタールの警告は日本でも大きく報道された。
ヴィーゼンタールと会見した時、彼の口からもう1人のユダヤ人の名前、フランクル博士が飛び出した。ヴィーゼンタールは事務所の壁に飾られていた名誉博士号を当方に誇らしげに見せながら、「自分は20以上の名誉博士号を得たが、私以上に名誉博士号を得たユダヤ人がいる、それはフランクルだ」と述べた(当方は当時、フランクルについて余り知らなかった。フランクルがまだ生きていた時、一度でも会見できていたら良かったと今は後悔している)。
フランクル(1905年~1997年)が第2次世界大戦中のアウシュヴィッツを含む4つの異なる強制収容所での体験をもとに書いた著書「夜と霧」は日本を含む世界で翻訳され、世界的ベストセラーとなった。独自の実存的心理分析(Existential Analysis)に基づいたフランクルの「ロゴセラピー」は世界的に大きな影響を与えていた。
フランクルは、「誰でも人は生きる目的を求めている。心の病はそれが見つからないことから誘発されてくる」と分析している。強制収容所で両親、兄弟、最初の妻を失ったフランクルだが、その人生観は非常に前向きだ。彼の著書「それでも人生にイエスと言う」やその生き方に接した多くの人々が感動を覚えた理由だろう。