大義はあるがその方略は妥当なのか

筆者は、小西議員の主張の内容に対して、本稿においては支持も不支持も表明しない。さらに言うならば、どのような主張であっても、国民に選ばれた国会議員が主張を展開する機会は尊重する。問題はその方略(手法)にある。

小西議員のSNS上での「法廷措置の検討」や「警告」は、度を越した言明であると考える。なぜならば、一般国民の言論に対する恫喝的な効果(委縮効果)が小さくないからである。つまり言論の自由への悪影響があるからである。

この一連の「法的措置の検討」表明や「警告」は今後、一般国民の言論活動を委縮させる効果が発生しかねない。実際に筆者も「触らぬ神に祟りなし」の気持ちがゼロではなかった(厄介だが「言論の自由」に対する悪影響が看過できないと感じたので、このテーマで見解を表明している)。

この一般国民の「言論の自由」は、小西氏が議員としての信念から大切にしている「放送の言論報道の自由」と等しく重要ではないのだろうか。

今の小西議員の活動は、「放送局の報道の自由を擁護するあまり、その立脚するところの一般国民の『言論の自由』を阻害する」というパラドックスに陥っていないだろうか。

根拠ある言論には根拠ある言論で反論すべき

事実無根の誹謗中傷はともかく、合理性のある根拠を提示しつつ表明される批判には、小西議員も同じく根拠を添えた言論で反論すべきである。例えばこの言論プラットホームのアゴラならば必ず掲載するだろう。なお、池田氏や門田氏の主張にはその根拠も明示されている。判断の分かれる点があるとすれば見解の相違であり、それと比較するならばいきなり法的措置は過剰対応ではないか。

恫喝的効果が排除できない“法的措置”検討の表明や警告を度々発するのは、いわゆる“スラップ訴訟”の亜流であり、言論活動を低調にする影響力を持つ行動である。

国会議員は国会における発言の免責特権を持つ。その特別な権利を持つ人物が、有力な言論人とはいえ一般人に過ぎない人物の言論に対して「法的措置を仄めかす」ことは、戦術としては下策であろう。論理を尽くし、広く一般国民が判断できるような論戦での決着を目指すのが選良の名に相応しい方策ではないか。

なお、委縮効果があるのはあくまでも「普通の一般国民」に対してであって、直接警告の対象とされた池田信夫氏も門田隆将氏も、微塵も委縮する心配はない。彼らは言論の強者であり、彼らの精神は鋼のように強靭だからである。

「捏造かどうか」より重要な喫緊の課題がある

「“捏造”にあたるのか」あるいは「“改ざん”と呼ぶのが適切なのか」などは「評価を含むオピニオン」に関する見解の相違である。つまり判定者(審判)がいない国会の場で、対立する立場の論者間で明快な判定がつくことはない。日本を繞る現下の環境を考えるならば、そのようなことで国会と官僚の時間と思考活動を浪費されることは耐えがたい。

ロシアによるウクライナ侵略以降、国際関係は緊張が高まる一方であり、中国や日本はその首脳外交などで静かな戦いを推進している最中である。国際環境を考慮するならば、この文書問題はむしろ、国家安全保障戦略の文脈において行政の情報管理(漏洩防止)の観点で深刻である。重要文書が外部に漏れた経緯の調査や、再発防止策立案に人的資源をあてて欲しい。

その意味でも、高市大臣の「セキュリティー・クリアランス制度整備」という喫緊の課題への対処をスタックさせるのは即時に終わらせるべきである。

ただ立憲民主党に期待するのは難しいだろう。