恐怖に飲み込まれた9.11以後
湾岸戦争以後フセイン政権の転覆が既定路線ではあったアメリカだが、いつまでというタイムリミットは定められておらず、その達成は反フセイン勢力を支援するという間接的な手段に限定されていた。
だが、2001年9月11日の同時多発テロにより、フセイン政権打倒は「いつか」ではなく「いますぐ」に方針変更された。飛行機がビルや国防省などに次々と突入する光景はアメリカ人を恐怖のどん底に陥れ、世論は「テロとの戦い」を指導者に要請した。そして、その要請を受けてブッシュ大統領は大量破壊兵器を開発し、テロリストを支援していた過去があったフセインに目を付けた。
ブッシュ政権は査察などを通して、テロリストに渡る危険がある大量破壊兵器がイラクに無いことをフセインに証明させようとした。しかし、フセインが信用できないと見るや、疑わしきは罰するという「テロとの戦い」の論理でアメリカは世論の大多数の支持を受けイラクを侵攻した。
イラク戦争の教訓は?メルヴィン・P・レフラーの新著によると、9.11以後ブッシュ政権はテロリストの恐怖のみならず、再びテロを防止できなければ世論に見放されるという二重の恐怖に直面していた。レフラーの著書は多数のブッシュ政権高官へのインタビューを基にしており、当時のブッシュ政権がいかにイラク侵攻前後において世論を意識しており、プレッシャーをかけられていたかが分かる。
イラク戦争の最大の教訓はパニック状態に陥った世論が、後先考えずにとんでもなく誤った政策を支持する可能性があることだ。中国の偵察気球に対する米国人の興奮した反応はイラク戦争前夜を彷彿とさせる。
イラク戦争という「誤った戦争」の責任は最高司令官だったブッシュ大統領にもある。だが、戦争熱に浮かれてイラク侵攻を支持した世論の責任も総括しなければ、イラク戦争の反省を終えたとは言えない。

ジェブ・ブッシュ氏とドナルド・J・トランプ氏