その後の王朝交代

その後、英国王室は2回の女系継承を行った。スチュワート朝最後のアン王女は、多産であったがいずれの子も成人せずに夭折したため後継者がおらず、ドイツからハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒが英国に迎えられ、ジョージ1世として即位した(ハノーヴァー朝、1714年)。勿論、ジョージ1世の母ゾフィはスチュアート朝の血筋であった。

このハノーヴァー朝の最後の国王がかの有名なヴィクトリア女王である。ヴィクトリアはドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ家のアルベルト(英名アルバート)を夫に迎え、4男5女をもうけた。その中の長男がエドワード7世として即位し、サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝が始まる(1901年)。だが、1917年、第一次大戦の敵国ドイツの家名を用いるのはいかがなものかということで、家名をウィンザー家に変更した。

ウィンザー家のエリザベス2世は、ギリシャ王族の血筋のフィリップ・マウントバッテンと結婚し、その長男が現在のチャールズ3世だが、この即位により、英国王家の正式な家名はマウントバッテン=ウィンザー家となっている。

結びに

このように英国王室は女系継承で保たれたきたと言っていい。だが、誤解してならないのは、王女達が嫁いだ先や、英女王に王配を送り出した家は、王家や公家であり、決して庶民の家ではなかったことだ。つまり、欧州の王室は互いに婚姻によって血統をプールしてきたのである。そして、継承問題が生じると、他国の王室にプールしてある自分の血統を引き出すのである。それは女系継承となるが、男系としても王侯の血統を保っている。

このような英国の歴史や欧州王室のシステムを知った上で、日本の皇室にとって女系継承が本当に必要な制度になり得るのか議論してもらいたいものである。

橋本 量則(はしもと かずのり) 1977(昭和52)年、栃木県生まれ。2001年、英国エセックス大学政治学部卒業。2005年、英国ロンドン大学キングス・カレッジ修了(国際安全保障専攻)。2016年からロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)博士課程在籍(歴史学専攻)。博士課程では、泰緬鉄道、英国捕虜、戦犯裁判について研究。元大阪国際大学非常講師。現在、JFSS研究員。

編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年3月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。