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研究員 橋本 量則
日本と英国は、ユーラシア大陸の東端と西端に浮かぶ島国で、歴史ある皇室、王室を戴くという共通な点を持つ。このことから日本には英国に対してある種の親近感を持っている人が多いようである。
それはそれで大変結構だが、最近、英国は女王や女系継承を認めているのに、日本が女性天皇や女系継承を認めていないのはおかしい、英国王室を見習うべきだという声も聞こえてくる。だが、そもそも、女系継承を認めていなければ現英国王室はとうの昔に途絶えていた。神話の時代から現在まで男系で続いてきた日本の皇室とは、何に重きを置いているかで全く異なるのである。
そんな英国王室の女系継承の歴史を簡単に見ていきたい。
戦乱をもたらした後継者問題現英国王室の直接の祖とされる征服王ウィリアムは1066年、フランスのノルマンディから英国に上陸し、アングロサクソンの王ハラルドをヘイスティングスで打ち破ったことで英国王となった。なぜこのような事態に至ったのか。
ウィリアムがフランスから渡ってくる前、英国にはエドワード懺悔王がいた。この王はカトリック教会の聖人に列せられているほどキリスト教に身を捧げた人物で、かの有名なウェストミンスター寺院を建てたことでも知られている。だが、一生純潔を貫いたので、嗣子がいなかった。案の定、彼の死後、後継者問題が起こった。この英国内の混乱に乗じ、ノルマンディ公ギョームが英国を征服し、ウィリアム1世として即位したわけだ。
王位継承には正統性が必要であったが、その根拠にしたのは、エドワードの母エマがノルマンディ家出身だったことのみであった。確かにエドワードとウィリアムは血縁ではあったが、ウィリアムが英国王家の血統であったわけではない。つまりこれは、母方が血統を受け継ぐ「女系」どころの話ではない。これは正しく「征服」であった。
このような継承から始まった現英国王室にとって、「男系」「女系」にどれほどの意味があったか。