カンパニーの常連ゲスト・アーティストである世界的なバレリーナ、アリーナ・コジョカルがマリーを踊った「くるみ割り人形」では、少女そのもののコジョカルの愛らしさと、死をも恐れない大胆なパ・ド・ドゥに驚かされた。

photo: Shoko Matsuhashi
恐らく、最前列で見なければそうと認識しなかったと思うが、ダンサーはギリギリの大胆さを求められ、バレエを綺麗な枠におとなしく収めようなんて考えてもいない。。スピーディで歓喜的な振付で、ひと呼吸でもズレるとケガ人が出てしまいそうな勢い。コジョカルは、肉体が当然襲われるはずのパニックをすべて喜びの表情に変えていて、一秒たりとも怯むことはなかった。
今回の後半の公演で上演される『シルヴィア』のハイライトでは、期待のプリンシパル菅井円加さんがタイトルロールを演じ、きびきびとした物語る甲でお転婆な女神を表現した。驚異的な身体能力の持ち主で、ノイマイヤーは監督最後の時代にこういうミューズに恵まれたのだな…としみじみした。
ノイマイヤーいわく「人間関係の永遠の神秘」をバレエにした『シルヴィア』は、男勝りのシルヴィアが牧童アミンタの求愛を受けて変容していくさまが描かれている。ハイライトでは、ワーグナーの戦乙女のような女性群舞、女神と牧童のコミカルなパ・ド・ドゥが魅力的で、ドリーブの音楽がいつもと全く違ったふうに聴こえる。
ノイマイヤーとハンブルクの最後の来日公演がなぜ多くの観客が見たこともない『シルヴィア』なのか謎に思っていたけれど、ようやく納得した。ここには、振付家が言いたいことがすべて凝縮されているのだ。早く全幕を見たいという好奇心が掻き立てられた。
『ヴェニスに死す』は、全幕を見たいと思って最後まで叶わなかった名作。アッシェンパッハを振付家にしたアイデアにはいつも新鮮な驚きを感じる。原作は小説家だが、ヴィスコンティは映画化にあたってマーラーを模した作曲家にし、ノイマイヤーもバレエに相応しい役柄にした。天才の発想である。
ノイマイヤー作品では死に至る狂おしい男女の愛が描かれることも多く、続けて踊られた『椿姫』と『アンナ・カレーニナ』は、改めてその筆致に圧倒された。『アンナ・カレーニナ』はアンナ・ラヴデールとエドウィン・レヴァツォフのカップルの演技が美しく、それにもまして愛を失ったキティ役のエミリー・マゾンの狂気のマイムが心に残った。心に引っかき傷を残すような苦悩の表現で、ノイマイヤーはこうした過酷な所作もダンサーに演じさせる。

photo: Shoko Matsuhashi
後半の『ニジンスキー』は、過去の来日公演でも上演されたが、兄の狂気に導かれるように自らも狂気の世界へと引きずられていく演技が痛々しい。ニジンスキー(アレイズ・マルティネス)とロモラ(ヤイサ・コル)が、共倒れになりながら荒海の中の筏に浮いているような地獄の表現は、他のバレエでは見たことがない。ダンサーの目が本当に正気を失っているかのように感じられ、彼らは踊り終わった後にどうやって自分を取り戻すのだろうかと想像した。
「ゴースト・ライト」は、三組のペアの踊りが繰り広げられ、男女のペアのほかに、男性同士のペアも登場するが、マティアス・オベルリンがダヴィッド・ロドリゲスを片恋のように追い求めるダンスは、痛々しくも心に熱く訴えてくるものがあった。能のコンセプトと近いものを感じるかも知れない、と記者会見でノイマイヤーは語っていたが、個人的には能というより振付家のオリジナルな統辞法を感じずにはいられなかった。
バレエフェスなどで踊られることの多い「作品100–モーリスのために」は、アレクサンドル・リアブコとエドウィン・レヅァツォフが踊った。モーリス・ベジャールの70歳の誕生日のお祝いにノイマイヤーが振り付けたバレエで、サイモン&ガーファンクルの音楽が使われている。
リアブコは何度もこれを踊っているのを見たが、長身のレヴァツォフが相手役を踊るのは初めて見た。二人とも信頼の厚いノイマイヤー・ダンサーで、新しい組み合わせからは新しい表現が生まれていた。これを見終わった後は、毎回なぜか熱いものがこみ上げてきてしまう。
『マーラー交響曲第3番』は、終楽章の「愛が私に語りかけるもの」が使用され、菅井円加をはじめとする精鋭ダンサーたちが踊ったが、ラストで日没の海を見つめるかのような目でノイマイヤーが見つめる相手役も、菅井さんであった。
ノイマイヤーは音楽をダンスに「翻訳する」天才であり、命と愛の意味をダンサーに語らせることの達人である。ノイマイヤーのダンサーは皆聡明で、振付家の楽器に甘んじることなく、それぞれの思考で踊りの意味をつかみ取る。
ラストのこの演目は音楽の力もあいまって、劇場全体に震えるような波をもたらした。ノイマイヤーは優れた振付家であり、演出家であると同時に、卓越した音楽学者だと思った。オーケストラがステージで奏でる響きにも増して、録音のサウンドが狂おしく聴こえた。振付は音楽の神秘から自然に生まれてきたという印象。ノイマイヤーの創作は、どの時代のものも決して古くならず、永遠の輝きを放つ。ごく若い頃から自分の創作の指針が揺らがなかった人なのだ。

photo: Shoko Matsuhashi
私が観た両日とも会場は喝采とスタンディングの嵐で、日本のバレエの観客が長年このカンパニーを愛し続けてきたことを実感した。
彼らを日本に呼び続け、最後にこのような豪華なプログラムを上演させてくれた招聘元には感謝が止まらない。総勢102名の大所帯の旅費や滞在費、膨大な衣裳や装置の運搬・管理は膨大な経費がかかっているはずだ。飛行機の燃料代もホテルの料金もすべてが高騰している。それでも、ノイマイヤーのハンブルク・バレエと日本の観客の相思相愛の絆は、ほどけることがなかった。