目次
■幾つもの挫折にも負けなかったエンターテインメントに懸ける日々
■エンターテイナーとして譲れない“パッション”に込めたメッセージ
恵まれたスタイルと幼少期から磨き上げた表現力を武器にミュージカル、お芝居、音楽といったエンターテインメントの世界で多岐に渡る活躍をしている城田優さん。近年は演出家としての一面も持ち、エンターテイナーとして数多くの観客を魅了している。
そんなアクティブな生活を送る城田さんにとっての隠れ家とは。表現者としてのこだわりや今後の展望も語ってもらった。
【プロフィール】エンターテイナー 城田優
1985年12月26日生まれ、東京都出身。2003年の俳優デビュー以降、テレビ、映画、舞台、音楽など幅広く活躍。最近の主な出演作品は、TBSドラマ『TOKYO MER~走る緊急救命室~』、NHKドラマ『カムカムエヴリバディ』(語り手)、映画『コンフィデンスマンJP英雄編』『バイオレンスアクション』など。舞台では『エリザベート』や『ブロードウェイと銃弾』などのミュージカルで数々の賞を受賞。近年は舞台作品のプロデュース・演出も手がけ、2021年には米倉涼子氏との共同プロデュースによる『SHOW TIME』をはじめ、オリジナル舞台作品「あいまい劇場 其の壱『あくと』」をプロデュースし、話題となった。
■幾つもの挫折にも負けなかったエンターテインメントに懸ける日々

7歳まで、スペインに住んでいたんですけど、その頃からテレビの世界(エンターテインメント)に対しての憧れがありました。それで、日本に帰ってからは母親に連れられて、CMやモデルのオーディションを受けていました。
けど、鳴かず飛ばずで全く受からず、月日だけが経ったんですよね。それでも諦めずに何度も受け続けていたら事務所に所属できるようになりました。それが中学2年(13歳)のタイミングで、本気で芸能活動を頑張ろうと決意した瞬間です。そこからレッスンやオーディションの日々が始まるんですけど、なかなか日の目を浴びる瞬間が訪れずに悶々とした時間が数年間続きました。16歳までは、地方のカタログの1ページやドラマのエキストラなどしか出演していません。
当時は、すごく繊細で多感な年頃でもあったので、ハーフという容姿のことを言われることも多くて悔しい思いや非常に傷つく時間でもありました。上手くいかずに「もう嫌だ!」って泣きながら家に帰る日もあったんですが、寝て起きると「やっぱり音楽がやりたい、ドラマや映画、テレビに出たい」という気持ちになるんです。なぜなら、それ以外に夢を持ったことがなかったから。当時を振り返ると、自分の意思が負けても負けても、それでも立ち向かうぞという気持ちが強くありましたね。
そんな自分に転機となったのが、16歳の時にミュージカル『美少女戦士セーラームーン』のオーディションに合格してからです。そこから徐々に城田優としての役者人生が始まり、そして今に至ります。最近の自分を定義するなら、俳優でもなければミュージシャンでもない、“エンターテイナー”という肩書きを掲げています。
■エンターテイナーとして譲れない“パッション”に込めたメッセージ

僕がエンターテイナーとして特に力を注いでるのがミュージカルです。それは、エンターテインメントの中で一番難しい表現だから。歌って踊ってお芝居して、時にはアクロバットして、時には泣いたりと感情的なことも含めて、プロフェッショナルな表現が求められる。そして、作品によって求められるスキルも変わります。
例えば、最近やっていたブロードウェイミュージカル『キンキーブーツ』なら、ドラァグクイーンのローラ役なので、女性のしぐさや儚さを兼ね備えながら、14cmのヒールを履いて踊るという。舞台に立つ直前は、役を全力で演じるプレッシャーなどで孤独な気持ちになります。
だけど、そんな状況下で一番大事にしてるのは、パッション(情熱)です。スキルやセンスも大事なんですけど、何よりもパッションです。そんなパッションがパフォーマンスや作品のクオリティに必ず繋がります。だからこそ、出演者が全員同じパッションを持ってることが大切なんです。それぞれ色や形は違えど、同じ熱量を持っていれば、作品の完成度は必ず高くなる。僕は、舞台に出演してる時は出演者の誰よりもパッションを持って挑みたいと常々思っています。
他にも僕がミュージカルの表現で大事にしていることは、作品ごとに声を変えることです。それをやってる人は限りなく少ない。本来役者は、声や表情を変幻自在に操れる存在であるべきだと思っています。そこもパッションが高くなればなるほど、その役を生きる上でのエネルギーやどれだけ作品を信じられるかが表現力にも表れる。僕は自分を信じるというよりは、周りを信じて作品を信じるっていう。それが結果的に、エンターテイナーとしての成長に繋がっていると感じています。