ウクライナ戦争に関する意見の対立
国際関係研究における歴史学と政治学の方法論の違いは、ウクライナ戦争の議論にも影響していると見てよさそうです。
歴史学者のティモシー・スナイダー氏(イェール大学)は、ロシア侵攻を植民地獲得戦争とみなして、プーチンを道徳的に批判します。彼によれば、プーチンはウクライナを国家として認めておらず、また、ウクライナ人を実在する市民として認めていないからこそ、ロシア軍は一般市民への暴行や虐殺を行えると解釈されます。
過去の植民地獲得戦争と同じように、ウクライナ戦争は、帝国主義的な修正主義国家が侵略を受ける国の存在を否定することが前提なので、ウクライナが生き残るにはロシアに勝利する以外に道はないとの結論になります。
また、スナイダー氏は、ロシア・ウクライナ戦争をプーチンの「悪行」と結びつけながら、マニ教的な「善悪の戦い」であると暗に示唆しています。
プーチンという一人の指導者を中心としたカルト(訳注、人権侵害などの犯罪を冒す狂信的な反社会的宗教集団)がある。それは第二次世界大戦を中心に組織された死のカルトである。それは過去の帝国の偉大な黄金時代という神話を持っており、ウクライナに対する殺人的な戦争という、癒しの暴力によって回復されようとしている…ファシストの戦場での勝利は、力が正義であり、理性は敗者のものであり、民主主義は失敗しなければならないということを確かなものにしてしまう。ウクライナが抵抗しなければ、世界中の民主主義者にとって暗黒時代の始まりになっていただろう。ウクライナが勝利しなければ、何十年も暗闇が続くことが可能になるのだ。
他方、政治学者のスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)らは、NATO拡大がロシアを存亡の危機に陥れたことに戦争の根本原因を見出します。
彼によれば、この戦争はウクライナが西側の軌道に滑り込むのを止めるためにロシアが始めた予防戦争として最も理解できます。プーチンはウクライナを武装・訓練するアメリカ主導の努力により、モスクワがキーウ(キエフ)の地政学的連携を最終的に止められなくなると信じていたのです。プーチンはウクライナの喪失がロシアに与える危険を恐らく過大評価していたのだという結論になります。
ここでのウクライナ戦争の生起に関する因果プロセスは、バランス・オブ・パワーの極端な変化→プーチンのパラノイア→戦争となります。
第二次世界大戦勃発についてのシュウェラー氏の分析と同じく、ウォルト氏のウクライナ戦争発生の説明でも、NATO拡大による物質的パワー配分の変化という戦争原因は、客観的で価値中立的な事実なのです。
こうした戦争観の相違は、その出口についての議論にも深く影響します。歴史学者としてのスナイダー氏はウクライナがロシアに勝たなければならないと強く主張します。なぜならば、これは「帝国の時代」を終わらせる戦争でもあるからです。彼によれば、 ウクライナ戦争は別の国家や民族は存在しないという植民地獲得の論理で行われる最後の戦争になるかもしれないのであり、世界史の転機はロシアが負けて初めて訪れるのです。
興味深いことに、同じような主張は、我が国のウクライナ研究者にも見られます。東野篤子氏(筑波大学)は、ウクライナのロシアに対する徹底抗戦を擁護するとともに、こう言っています。「いろいろな方から『この戦争の落としどころは』と聞かれましたが、侵攻された側に対して落としどころを問うのは酷です。仮に、何らかの形でロシアが再び停戦を提案したとしても、それは未来永劫(えいごう)、戦闘をやめるという停戦ではないでしょう。一時的な停戦を利用して態勢を整え、さらに侵攻するための小休止に過ぎません」と、植民地獲得戦争と同じようなロジックで、ウクライナの勝利とロシアの敗北を訴えています。
他方、政治学者としてのウォルト氏は、予防戦争の終結の落としどころが、ロシアとウクライナの双方の妥協にあると以下のように主張しています。
この戦争は、主人公たちが当初の目的をすべて達成することはできず、理想的とはいえない結果を受け入れなければならないことを理解するまで、コストがかさむ膠着状態に陥る可能性が高い。ロシアは、ウクライナを従順な衛星国にすることはできないし、モスクワを中心とした『ユーラシア帝国』も手に入れられないだろう。ウクライナはクリミアを取り戻すことも、NATOに完全加盟をすることもできないだろう。アメリカは、他の国家をNATOに加盟させることをいつかは諦めなければならないだろう。
政治学者のスティーヴン・ヴァン・エヴェラ氏(MIT)も同じような戦争の終結を主張しています。
ウクライナはロシアとの戦争において、すでに最も重要な目的を達成した。戦闘を継続しても、ウクライナが得られるものはわずかであり、一方でウクライナとアメリカに高いコストを強いることになる…ウクライナはその成功を強固なものとし、不完全な条件で戦争を解決すべき時だ。
彼らのような政治学者が、ウクライナとロシアの双方は妥協すべきと主張するのは、両国のパワー・バランスが戦争の終わり方を左右すると推論するからです。ロシアは戦争により相対的パワーを回復したい一方で、ウクライナは独立と主権を守るために抵抗しているのであれば、両者の目的達成の程度は、どちらかがどのくらい力を持っているかで決まらざるを得ない、ロシアもウクライナも決定的な勝利を収めるパワーに欠けているという、物質的なパワーからの客観的な分析です。
このように戦争の論じ方は、それが同じ出来事であっても、歴史学と政治学では異なるのです。言論の多様性は、こうした戦争への複数のアプローチを擁護します。異なる認識や方法から異なる主張が生まれるのは、当然の結果であり、論争が起こるのは健全なことなのです。
民主社会における多様な言論国際関係研究における歴史学と政治学の認識論と方法論が違うことは、戦争に複数の言説をもたらします。このことをキチンと理解することは、誹謗中傷やレッテル貼りの不毛な議論を避け、建設的な討論を行うためには必須でしょう。私を含めたリアリストの政治学者は、「ロシアのプロパガンダ拡散者」であると誤解されます。これは政治学の因果推論の理解不足から生じています。
プーチンに近い主張をする人の類型としては、①ロシアに買収されてる人、②買収されていないがプーチンに影響された人、③買収も影響もされておらず、別経路の論理から結論に到達した人が考えられます。リアリストは、ほぼ全員が③でしょう。政治学の因果推論に基づく予防戦争の仮説がクレムリンの発信と一致するだけなのです。ですが、政治学の方法論を知らない多くの人たちには、①か②に見えてしまうのでしょう。
ウクライナ政府から「ロシアのプロパガンダ拡散者」と認定された、政治学者のジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、そうされた理由を以下のように推測しています。
私は、ロシアがウクライナに侵攻したのは、アメリカとヨーロッパの同盟国が、ウクライナをロシア国境の西側の防波堤にすることを決定し、モスクワがこれを存亡の危機と考えたからであることは、入手した証拠から明らかである、と主張している。ウクライナの人々は、私の主張を否定し、代わりにウラジーミル・プーチンを非難する。プーチンは、ウクライナを征服し、より大きなロシアの一部とすることに固執していたと言われている。しかし、その主張を裏付ける公的な記録はなく、キーウと欧米の双方にとって大きな問題となっている。では、彼らは私にどう対処するのか。その答えはもちろん、そうではないのに、私をロシアのプロパガンダ拡散者とレッテルを貼ることだ。
こうした不毛な糾弾は、終わりにしようではありませんか。この記事で取り上げた『国際関係研究へのアプローチ』の編集者であるコリン・エルマン氏(シラキュース大学)とミリアム・エルマン氏は夫婦の社会科学者であり、政治学と歴史学のすみ分けと関係をこう指摘しています。
政治学者は歴史学者ではないし、またそうなるべきでもない。両分野の間には、埋められない認識上のまた方法論上の溝が存在する。しかしそうした違いを認め、お互いの特徴を維持し敬意を払うことは大切である(同書、32頁)。
私はエルマン夫妻に完全に同意します。戦争の分析において、政治学者と歴史学者の意見が食い違うのは当たり前です。それを知ったうえで、両者がより正確な分析と理にかなった政策提言を競い合うことこそ、国際関係研究の望ましい姿ではないでしょうか。