歴史学者による道徳的判断の擁護

国際関係研究において、多くの歴史学者は政治指導者の意図的な行為に注目します。その主な理由は、この分野の研究者が、多かれ少なかれ過去に起こった出来事の責任の所在や政策の道義的な妥当性に関心を抱いているからだと言われています。歴史学者のポール・シュローダー氏(イリノイ大学)は、歴史学者が負うべき道徳的義務を以下のように力説します。

歴史を研究する仕事は…それ自体が本質的に道義を探究する行為なのであ(る)…歴史学が道義的判断を不可避的に下す…そのいかなる本質的部分であれ…価値中立的な言葉で語ることはできない…我々は、よい、わるい…などの形容詞を使わざるを得ない(同書、286、293頁)。

シュローダー氏によれば、歴史を研究することと過去の出来事や政治行為に道徳的な判断を下すことは一体だということです。歴史学は、対象とする時代が長く、地域も広いので、彼が言う歴史の作法が全ての歴史学に当てはまるわけではないのでしょうが、近代の政治外交史の研究では、こうした道徳的な研究姿勢が顕著にみられます。

たとえば、第二次世界大戦を引き起こしたナチス・ドイツの指導者であったアドルフ・ヒトラーの行動を「機会主義的」なものと説明するとともに、全ての戦争責任を彼に押しつけて断罪することを拒否したA. J. P. テイラー氏(オックスフォード大学)は、他の歴史学者から激しく批判されました(『第二次世界大戦の起源』講談社、2011年〔原書1964年〕参照)。

ハリー・ヒンズリー氏(ケンブリッジ大学)は、テイラー氏のヒトラーの描き方を「得手勝手でぞんざいな態度」と罵倒に近い言葉を浴びせて、彼に「賛意を表すことに、歴史家は例外なく躊躇せざるを得ない」と強く批判しています(『権力と平和の模索』勁草書房、2015年〔原書1963年〕、500頁)。このように歴史学者は、概して過去を裁くことをよしとしてるのです。

政治学者は、道徳的判断からは一歩引くのがふつうです。すなわち、政治学の研究においては、政治指導者が倫理的に行動したかどうかは問わず、ある出来事を引き起こした原因を客観的かつ価値中立的に突き止めようとします。政治学者は、原因とみられる要因が道徳的であるかどうか、善であるか悪であるかは問題にしないということです。このことを政治学者のデーヴィッド・デスラー氏は以下のように述べています。

通常(政治学の)一般理論は特定の歴史解釈よりも価値中立である…もしXが起こればYも起こる(という因果推論は)たとえ『X』が社会でどう評価されていようとも、『X』の価値に対しては中立の立場をとる。一般化によって生み出される知識とは、異なった立場の人々にも正当なものとして認識されうるものである(同書、24頁)。

事象を引き起こす原因は、あくまでも客観的事実として存在するのであり、その責任や善悪を問うたところで、その因果関係は変わらないというのが、標準的な実証政治学者の認識論であり方法論なのです。

ナチス・ドイツと第二次世界大戦

認識論も方法論も異なる歴史学者と政治学者は、第二次大戦の論じ方も必然的に違います。歴史学者は、ナチス・ドイツやヒトラーの「罪」を道徳的に批判する一方で、政治学者はドイツを取り巻く国際構造の機会と制約に戦争を根本的な原因を求めます。ここでは何名かの歴史学者と政治学者の代表的研究を紹介します。歴史学者のガーハード・ワインバーグ氏(ノース・カロライナ大学)は、ナチスの「断罪」なき物語を否定します。

ナチス・ドイツによるユダヤ人およびその他の望ましからぬ人間の大量虐殺に言及することなく第二次世界大戦の歴史を書くことはできない(同書、15-16頁) 。

先述したシュローダー氏も、ドイツの戦争行為の価値中立で道徳的判断のない評価は歴史ではないと厳しく糾弾しています。

客観的で道義がからまない基準を立てて、ドイツによる1939年のポーランド侵攻と1941年の対ソ攻撃を…評価するとしよう…前者が成功、後者が失敗だったということになる…この試みは道義に極めて無頓着であるばかりか非歴史的であり…人間が何を行い、何に苦しんだのかという、物語の核心への理解を阻害してしまう。これと同じ要領でホロコーストを分析してみるとよい。その結果は、全く非人間的で忌々しいものになる(同書、287頁)。

では、政治学者は道徳的判断を行うことなく、どのようにドイツの侵略を論じるのでしょうか。ここではランドール・シュウェラー氏(オハイオ州立大学)の説明を紹介します。彼は、第二次世界大戦勃発時の国際構造が米ソ独の三極であったことに第二次大戦の「原因」を見るとともに、ヒトラーは戦争の必要条件でも十分条件でもないと分析しています。

三極システム…は一触即発の危険をはらんで(いる)…ヴェルサイユ講和条約は、ドイツを『作り出された劣勢』の位置に置く危険な勢力不均衡を遺した…ドイツは、同じような客観的状況に置かれたらならばどの国もとったであろう行動をしたにすぎない『普通の』国であった…ヒトラーは…もともとおこる可能性が高い出来事をさらにおこりやすくした要因にすぎない…もしヒトラーがドイツではなくエクアドルの指導者であったなら、彼は第二次世界大戦を始めることはできなかったであろう…ヒトラーは決してこの戦争の十分条件とはなりえなかった…(三極)構造が(戦争を)起こ『り得る』条件をつくりだすと(政治学者は)見るのである(同書、169- 172頁)。

要するに、第二次世界大戦の生起に関する因果関係は、三極構造→ヒトラーの気質→戦争となります。

1940年前後の世界はアメリカとソ連、そして台頭するドイツのパワーがほぼ等しい三極構造でした。アメリカは孤立主義の政策をとっており、ヨーロッパの国際政治には原則として関与しない方針を貫いていました。ソ連はドイツに対抗する責任をイギリスやフランスに転嫁していました。スターリンは、ドイツが西欧諸国と闘えば国力を消耗するので、ソ連は「漁夫の利」を得られると判断したのです。

こうした三極構造に特有の大国の行動が、台頭するドイツにヨーロッパで覇権を得るチャンスを与えたのです。この機会をヒトラーは逃しませんでした。ヒトラーは、アメリカの不介入とソ連の責任転嫁行動が生み出したチャンスを活かして領土拡張戦争を行ったというのが、シュウェラー氏の戦争勃発の説明なのです。ここで原因と位置づけられる三極構造は、道徳や正義とは関係ない価値中立的な事実に過ぎません。