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九度山の魅力6:高野山大門に続く町石道の入り口
九度山の魅力7:2mの陶像「米金」
九度山の魅力6:高野山大門に続く町石道の入り口

(画像=『たびこふれ』より引用)
丹生官省符神社かの奥には駐車場がありますが、そのさきに歩いていくと、山道が奥に続いているところがあります。これが高野山大門に続いている町石道の入り口です。町石道とは全長22kmある参詣道で、途中180もの町石の目印があります。その町石には密教の諸尊を表す梵字が刻まれています。

(画像=『たびこふれ』より引用)
町石道の登山口とは別にさらに階段があり、その上に仁王門が見えます。そこには勝利寺があります。寺の由来は空海が42歳の時に厄除観音を祀った事に由来しました。下にある慈尊院よりも古くからあります。
仁王門のなかに鎮座する仁王像は高野山奥の院の明遍杉で作られており、また御幸門は後白河上皇の高野山参拝をきっかけに歴代天皇・上皇が玉髪を高野山に収める際に使者が入る門となりました。また境内には紙遊苑と呼ばれる昔の凧を展示した資料館があります。
九度山の魅力7:2mの陶像「米金」

(画像=『たびこふれ』より引用)
九度山の町中には不思議な像「米金」が飾ってあるところがあります。明治から大正時代に活躍した陶芸家の南紀荘平(本名:井端荘平)が作ったという高さが2mもある陶製の像で、全国的にも珍しい大きさです。

(画像=『たびこふれ』より引用)
地元の人からは「米金の金時像」と呼ばれており、坂田金時(金太郎)をモチーフにしたものと思われます。現在は全体的に灰色になっていますが、かつての写真が飾られており、米金と書かれた前掛けは赤かったようです。また「米金医院」という看板が掲げられており、この像は元々は医院の看板のような役目があったと思われます。