「一日一善」「情けは人のためならず」という言葉がありますが、これらの言葉はただ単に「良い人でありなさい」という道徳上の話ではなく、“成功哲学”としての意味合いが隠されているのではないかと考えています。
つまり、「自分自身の思想や行動に自信を持ち、自己肯定感を強化するための習慣」として、「利他的な行動」が近道である、というのがこれらのことわざに込められた本質的なメッセージではないかと思うのです。
私自身、銀行員時代から経営コンサルタントに転向した現在までを通じ、多くの経営者や資産家らとの出会いがありましたが、寄付や奉仕活動にコミットする人たちが明らかに多い傾向があることを実感しています。
このような話をすると「経済的なゆとりがあるのだから、ボランティアに励む余裕があるだけだろう」という反論が来そうですが、どうも経済的余力の存在だけでは説明がつかないように感じています。
また、彼らの多くは寄付や奉仕活動への参加を積極的にアピールしているわけでもないので、「イメージアップのために行っているのだ」というのも間違っているようです。
私は「良い人だからこそ周囲に認められて出世できる」という勧善懲悪的な話をしたいわけではありません。
そうではなく、「善行を実践することで、自己の価値を信じられるようになる」こと、そしてここで培った自己肯定感が、仕事の場面でもブレない判断・行動を可能にするのではないか?というのが、私の考えです。
いわば、一定の地位にあるエグゼクティブたちが励んでいる奉仕活動は「無償の行動」ではなく「自己修練の一環」なのではないでしょうか。

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一般的に、「自信がある人をイメージしてみて下さい」と言われると、「能力・スキル・地位が周囲より優れている人」が真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか?
ところが、実際には「周囲を圧倒する能力や地位の持ち主」だけが強い自信を持っているわけではありません。
飛び抜けた能力や地位、財力や容姿に恵まれていなくても、体の内側からナチュラルに湧き上がるように自信を持っている人というのも、身の回りにいるのではないでしょうか。
実は、「周囲や社会の役に立っているという自負がある」というのも、「能力や地位の優越」に勝るとも劣らないほど、自己肯定感の強化につながる重要な要素であることが分かっています。
たとえば順天堂大学大学院の堀江重郎教授は、さまざまなメディアを通して、「ボランティアのような社会奉仕活動をすることで、“自信”や“やる気”を左右するホルモンである“テストステロン(男性ホルモン)”が体内で多く生産される」と発信しています。
他者に貢献する活動がテストステロンの分泌を促す詳細なメカニズムについては明らかではないようです。
しかし「良いことをしたことで晴れやかな気持ちになる」というのは誰しもが経験のあるところではないでしょうか?
やはり社会的動物であるわれわれ人間にとって、“自分が社会にとって善い存在である”と自覚できる行動を取ることが精神面にポジティブな作用をもたらすというのは、体感的にも納得できます。
“善行”に励むことで、人は「自分と社会とのつながり」を確認し、「社会にとって意義のある生き方を実践する自分」への自信を深められるのではないでしょうか?これは単なる“綺麗ごと”ではなく、前述したようにホルモンレベルでの裏付けのある事実です。
・・・にもかかわらず、「自己肯定感を高めるための行動」として“善行に励む”ことを選択する人はあまり多くないように感じます。
やはり、「なんとか自分に自信をつけたい」という場合に多くの人が真っ先に取り組むのは「自分の能力や容姿の向上に投資する」ことであり、資格を取ったり、筋トレに励んでみたり、見た目を立派にすることがメインのようです。
さらに、書店に並ぶ自己啓発系の本も、上に並べたような“能力強化系”にウエイトを置いた内容となっているように感じます。もちろん、「他人より優れた能力や地位・容姿を持つこと」が自信にとってプラスに働く要素であることも事実であり、ここで否定するつもりはありません。
一方で、このような「“能力強化系”で自信をつけようとする」ルートには弊害もあり、特に「現状でまったく自信がない人」にとって最優先すべきルートではないと考えています。