さて、話はここで、再び広報・PRに戻る。

先ほど、中身のない広報・PRほど空疎なものはない、と述べた。しかし、日本には、歴史的に培われた、そして、世界がうらやむほどのクリエイティビティ・文化力がある。中身がある。中身があるなら、それ相応にしっかりと広報・PRすべきだ。

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来るべきG7サミットでは、例えば、善悪を同じ地平線に並べて争いを水に流し、共生や共存を旨とする、遥か昔から現在のアニメなどに至るまで連綿と続く日本文化を、ビジブル・タンジブルな(見える/手に取れる)形でうまく示す努力をしてはどうか。首脳たちにとっても、日本人にとっても、そしてもちろん、世界から見ても、記憶に残るサミットとすべきではないか。

こうした中身をしっかりと外に示して「見せる」作業は、一般論的には、官僚には出来ない(苦手な)作業であり、政治のリーダーシップが求められる。

現在のイギリスの苦境は、見ていて忍びないものがあるが、かつて、世界の陸地の1/4とも言われる広大な領土を有したイギリスは、第二次大戦後、世界帝国としての地位、軍事・経済大国から転落した後も、文化力をうまく示して、しばし世界を席巻し続けた。具体的に言えば、エリザベス女王の外遊で威信を示し、ビートルズの音楽で世界をつなげ、サッカーワールドカップの優勝で熱狂を生んだ。

思えば、日本全体の活性化は、日本の各地域の活性化と状況が似ている。世界の中で凋落する日本と、日本の中で凋落していく各地は、パラレルに、相似形として捉えることもできる。言うまでもなく、各地には、祭り・食文化・名産品の伝統など、「中身」がたっぷりある。日本の地域の苦境の大きな要因の一つは、中身・魅力のPR・広報不足である。

皮肉交じりに言えば、政治家たちは、自らのショーアップ・政権の炎上を狙うという意味での広報・PRに関する知見を、総力を挙げて、日本外交や地域活性に役立ててはどうか。そんなことを、極寒の中でつらつら感じる今日この頃である。