体の不自由な人は、それを補うための特殊な能力を身につけるし、それらの能力に私たちは多大な敬意を払う。しかし、その能力を万人が持たなければいけない理由を、私は見つけられない。人間が、相手の表情を見ながら集団生活をするのはごく自然なことであり、その自然さをわざわざ妨げることは間違いだと思う。
12月21日の産経新聞によれば、マスクの着用が緩和されても、76.7%の人がマスクを着用すると答えている。しかも、すでに4割の人は感染対策以外の目的で着用しているという。
その目的とは、女性の第1位が「お化粧をしていないことを隠せる(60.3%)」、2位が「エチケット(42.6%)」、3位が「素顔を見せることが恥ずかしい(41.8%)」。男性では、1位が「エチケット(46.2%)」、2位が「髭を剃っていないことを隠せる(30.6%)」、3位が「口臭を隠せる(19.4%)」。
いずれにせよ、私はこの調査結果を見て愕然とした。どれもものすごく内向きだ。自分の「〇〇を隠せる」というのはあまりにも消極的な動機ではないか。特に、「素顔を見せることが恥ずかしい」となると、ほとんど生命力の低下という気がする。また、エチケットのためというが、私は、よほど咳が激しいのでもない限り、従来の常識から言うなら、マスクをしたまま人に挨拶する方が失礼だと感じる。
なお、ここでいうエチケットというのは、おそらく、マスクなしの人がそばに来ると怖いと感じる人に対する思いやりという意味で、これが前述の「他者への配慮や優しさ」というマスクの意義に繋がるのだろうが、人の感じ方は様々だから、世の中には必ず心配性の人が一定数いる。だから、そんなことを言い始めたら配慮や優しさがいくらあってもキリがない。
なお、ここには書かれていないが、「皆がしているから」という理由もかなり大きいだろう。というか、私は、それが実は一番大きいと思っている。「周りを見てからようやく自分も行動する」という日本人の特性は、調和を重視するという意味では美徳だが、時に非常に評判が悪く、すでに海外でも揶揄されるほどだ。ただ、残念ながら、普段の国民の生活を見ても、あるいは政治家の外交方針などでも、確かにその通りと思うことは多い。マスクに関しても、この特性が顕著に出ているようだ。
そもそもついこの前までは、顔を隠すのは、防犯カメラで身元を特定されたくないコソ泥や銀行強盗だけだった。それなのに、なぜ、今、これが急にエチケットになり、皆、自分の顔が恥ずかしくなったのか? 顔を隠し、感情を出さない社会が、健全であるとは絶対に思えない。そういう社会で子育てをしてほしくもない。日本はなぜ、こんなに元気のない国になってしまったのかと思うと、とても悲しい。
1月19日、ドイツの主要メディアの大御所である第2テレビが、夜7時のメインニュースで、コロナ後遺症、及びワクチン後遺症に苦しんでいる人たちが共に立ち上がったという報道があった。
これまでLong Covidと言って、コロナが治った後も、ひどい倦怠感などが回復せず、仕事はおろか、普通の日常生活もできなくなってしまう人の話は出ていたが、それがコロナの後遺症と認められることはほとんどなく、治療してくれる病院もなかった。
そこで、コロナ後遺症を正式に認めてほしいという運動が起こっていたのだが、今回はその輪の中に、ワクチン被害を訴える人たちが加わった。つまりワクチン接種後、Long Covidと同じような症状や、あるいは心筋梗塞や脳梗塞、肺血栓などという深刻な疾病に苦しんでいる人たちが、共に助けを求めているわけだ。後者には、Post-Vac-Syndromという名前が付いている。
第2テレビが報道したのは、彼らが19日に国会議事堂前の広場で行った抗議活動の様子で、何百もの野戦用の簡易ベッドが整然と並べられ、その一つ一つのベッドの上に抗議者の写真が置かれた。