そう思い始めると悪口を書く人にがぜん会ってみたい気がしてきて、そのうち感情的反応が一切なくなってしまったのです。乗り越えた、ということでしょうか?なので、私は今でも本文に対して「反論ウェルカムです!」の姿勢です。なぜなら自由討論でいろいろな意見を聞きたいのだから好きなように書いて頂くのがこのブログのモットーだからです。但し、誹謗中傷と下品な内容はダメ、一言ではなく理由を述べよと。そしてコメンテーターにも異論を受け入れる気持ちを持って頂くことが大事です。このルールを守れば誰でもウェルカムなのです。

私が北米で学んだ最大の収穫の一つが「答えは一つではない」です。いくらでも思いつく回答案の中から自分にとっての最適解を出すというアプローチは私自身のメンタルを異様に強くしたと思います。

渡辺淳一氏が「鈍感力」という作品でスマッシュヒットを飛ばしました。私はあの読後感はあまりよくなくて、鈍感力が良いというより私は研ぎ澄まされた感性の中で相手を受け入れる包容力こそうまく生き延びるコツではないかと思うのです。私は鈍感、つまり「にぶ男(鈍い男)」ではありません。悪い癖なのですが、相手が反論をして来たら「あぁ、なるほど、その手を使ったのね」という自分の手持ちの答えのリストと照らし合わせて納得してしまい、驚きもしないし、痛くも痒くもないのです。完全に想定外の場合のみ「目からうろこ」なのです。そんなケースは正直、あまりないです。

社長業をしていると判断する際に様々な意見が出てきます。その中で会議をすれば声のでかい奴、口の上手い奴、プレゼンが上手な奴が要領よく人の気を引き、勝者になりやすいのです。私が大の会議嫌いである理由は判断する際にその余計なバイアスが邪魔なのです。だからある決め事をする場合、「意見徴収期間」に様々な外野の声をフラットに聞き、自分でも調べ、考え、最後、決める時は一晩寝てから決める、です。案外すっきりします。なぜなら自分で納得した解だからです。

ストレスを溜めるというのはプレッシャーに押されるか、思いっきり批判され自己否定されるケースが多いと思います。プレッシャーは必ずある時点で終了するので私の場合はむしろ、自分を高めていく調整をします。テストや講演、納期までの作業など多くのプレッシャーは明白な目標と日時が確定しているものが多いのです。これは乗り越えられます。