医師の手術はメスで患者の体を切るので、傷害罪の構成要件に該当する。

しかし、医療行為である手術として行った場合は、正当業務行為として「違法性」が阻却される。

さもないと、手術をする医師たちは傷害罪になってしまう。

「手術するたびに傷害罪だぜ。俺なんていったい何回逮捕されたことか」なんて医師がぼやかなきゃいけないことになったら大変だ。

「違法性」の関門は、刑法の条文だと35条、36条、37条に規定されているので、興味があれば条文を見ておこう。

最期の第三の関所は「責任」だ。

「責任」というと「これはお前に責任がある」というふうに一般的に用いられることが多いが、刑法上の「責任」は意味合いが異なる。

「責任がない」とは「非難可能性がない」と刑法では言われている。

構成要件に該当し違法な行為を行っても、その人を批難することができない場合のことだ。

典型例が心神喪失だ。

刑法39条は「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為はその刑を減軽する」と規定している。

心神喪失者というのは、自分が何をやっているか全くわからないような状態を想像していただければわかりやすい。

精神的な病気で、人と電柱の区別もつかないとしよう。

電柱に八つ当たりをしようとして思いっきり殴ったら人だった。殴られた人が死んでしまったというようなケースだ。

心神耗弱というのは、心神喪失ほどではないけど認識能力や判断能力が低い場合を指す。

では、どうして心神喪失者の行為は「責任」つまり「非難可能性」がないということで犯罪にならないのか?

これは刑法の哲学のようなものだ。

一言で言ってしまえば、責任能力のない人は規範に直面することなく行為したのだから批難できないということだ。

人を殺したり殴ったりするとき、普通の人は「やってはいけない」という規範に直面しつつ、それを敢えて破っている。

規範というブレーキがあることを知りつつ、敢えてアクセルを踏んでしまったようなものだ。

ブレーキの存在すら知らない人を責めることはできないという考えだ。

「責任能力なし」となると刑罰ではく医療措置がとられる。

しかし、被害者や被害者の家族からすれば、加害者がたまたま心神喪失だったからといって刑罰に処せられないというのは納得がいかないことが多いだろう。

日垣隆氏の「そして殺人者は野に放たれる」という本には、心神喪失のフリをして病院に収容されてさっさと出てくる人がたくさんあると書かれている。

事実だとしたらとんでもない話だ。

心神喪失者と認定された者が比較的短期間で社会に戻ってくるとしたら、個人的には反対だ。

心神喪失者であっても危険性の高い人を社会に戻してしまえば新たな被害が発生する恐れがあるからだ。

相模原殺傷事件の犯人は、犯行の前に「措置入院」に付されたのに、2週間くらいで退院した。

措置入院というのは、「自傷他害の恐れのある」精神障害者を強制的に入院させる制度だ。

社会の安全を確保するために強制的に入院させる制度で、滅多に適用されない。

滅多に適用されないような危険性のある人物を2週間で退院させてしまった病院側には、極めて大きな責任があると考える。

以上、犯罪が成立するためには、構成要件に該当し、違法性が認められ、責任があるという三つの関所があるということを理解していただければ幸いだ。

編集部より:この記事は弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2023年1月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。