他人に努力を見せた方がいい時
翻って、今度は他人に努力を見せた方が良い場面について考えたい。
その筆頭はサラリーマンという立場である。筆者は会社員時代だった頃、これを痛感させられた。昔、社内で部署ごとにプレゼンテーションをする機会があった。その際、ほぼ人生で初めてに近いプレゼンテーションに舞い上がってしまい、夜中3時までかけてスライドの作り込み、リハーサルをやって本番に臨んだ。とにかく必死だったが、一方でとても楽しく感じてしまったのである。だから苦痛に耐えて努力をしたというより、自主的に必死にやったという感覚に近い。結果としてこのプレゼンテーションはかなりうまくいって、聞きに来ていた役員から高い評価を頂いた。その後、時は流れ人事評価面接の時に直属の上司から「以前君がやったプレゼンの結果を役員に大げさにでもいいからとにかくPRしなさい。サラリーマンの人事は政治なのでPRしないとなかったのと同じだよ」と言われて驚いたことがある。自分では楽しくて夢中でやっただけだったが、努力や実績は上手にPRしないと認められないということに。こういうことは、外資系企業勤務時代には他にもよくあった。全てではないにしろ、サラリーマンは努力PRはある程度、必要ではないだろうか。
また、健全な努力ならサラリーマンでなくてもPRしてもいいはずだ。たとえばプロスポーツ選手なら、普段どういった思考や哲学を持ってルーチンに励み、結果を出したのか?ということは価値あるコンテンツになる。数々の一流のプロスポーツ選手の発言はとても重く、そして深い。であるがゆえに書籍や動画で頻繁に取り上げられる。承認欲求からの努力PRは敬遠されるが、有益コンテンツとしてのものならウェルカムという感じだろう。
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「他人への努力PRはかっこ悪い」という風潮があるが、必ずしもそうではないと思っている。重要な点としては努力をすることそのものではなく、実績を出したプロセスで学びや気付きがある部分だけを上手にPRすることではないだろうか。
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