黒坂岳央です。
「能ある鷹は爪を隠す」という言葉が日本にはある。これに転じて、「わざわざ自分の努力をPRするのはダサい」という風潮があるのではないだろうか?自分が必死に頑張っているなら、誰かにその姿を見てもらいたいという気持ちは誰しも持つものだ。努力は積極的に見せるべきだろうか?それとも隠すべきだろうか?
結論、これは目的によると考える。その理由を論考したい。

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プロのアスリートや、ビジネス、投資家など挑戦者の多くは努力を見せない。時折、成功したプロスポーツ選手へのメディアインタビューから、度肝を抜かれるような成功へのコミットメントが明らかになり驚かされるということが起きる。だが、わざわざ自分から誇ることはしない。
また、「YouTuberはばか騒ぎしているだけで、楽して稼いで腹が立つ」という人もいる。だが実際にYouTuberになればわかるがまったく楽な仕事ではない。トップYouTuberが撮影の舞台裏を見せることがあるが、みな常人離れした努力をしている。HIKAKINさんは毎日16時間も動画制作に費やしている姿を見せた。撮影、編集、企画立案、データ分析、コピーライティングなど、複合的なクリエイティビティを総動員して毎日毎日、体を張って撮影に臨む必要がある。そしてどれだけ視聴者のために頑張っても、一定数からは必ず批判が来る。そして人間の機能性として1万の応援の声に、1の誹謗中傷に対して強烈なネガティビティを感じてしまうという辛さもある。さらに一度成功しても更新を止めたらアルゴリズムが働き、次第に過去の投稿した動画も見られなくなる。これは30万人、50万人以上のチャンネル登録を持つ複数のチャンネルでも指摘されていることだ。つまり、YouTuberはかなり労働集約的な仕事であり、体を張ることから肉体労働に近い性質がある。「楽してけしからん」という人は一度やってみるといい。95%は1ヶ月持たない。だがトップYouTuberはわざわざ努力を誇ることはしない。