死刑になれば命を奪われるし、懲役刑になれば自由を奪われて刑務作業に従事しなければならない。

いい加減な解釈で刑罰を科するのは、基本的人権の保障という憲法の三大原理に反し、ひいては「個人の尊重」が図られなくなる。

主権者である我々国民の代表者で構成される国会が作った法律がなければ原則として刑罰を科すことはできない(条例は例外)。

これは憲法の三大原理のひとつである国民主権から導かれる。

また、罪刑法定主義は、基本的人権の保障という機能だけでなく、犯罪の事前抑止という機能も担っている。

このような行為をすれば処罰されるということを国民が知っていれば、「処罰されるのは嫌だから止めておこう」と考えるようになる。

それでも敢えてやってしまう人もいるが・・・。

例えば、強盗殺人の法定刑は「死刑又は無期懲役」しかない。

死刑と無期懲役しかないとなれば、抑止を目的とした威嚇効果は抜群だ。

よほどのことがない限り、誰もやろうとは思わないだろう。

このように、罪刑法定主義は基本的人権の保障が主たる目的だが、犯罪の事前抑止という目的もある。

編集部より:この記事は弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2023年1月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。