論点

紹介・要約はこれくらいにして論点を示しておこう。

基底にあるのは経済法則をどうとらえるかだろう。経済には、人の意思ではどうにもならない鉄の貫徹力を持つ法則があると見て、人の観念を排除して、法則を探求すべし、これが第一の立場。第二の立場は、人間の、時には政治や日銀という上位の政策者の知見、それに基づく行動で経済の行方を制御できるとする。

それぞれの立場に違う立場から批判がある。封建時代から資本主義への移行は歴史法則であるから人為的に押し戻すことはできない。もちろん観念は無力ではなく、明治維新の具体的な姿をつくり出したのは当時のリーダーの営為であった。人間の意思、行為、そのもとになる理性を無視しているのではない。大河を小舟で渡るときは、まず大河の流れを認識することが必要で、その上で舟の操縦術も意味がある。経済決定論のみを主張しているのではない。

この20年間、あらゆる操縦(政策)をしても、日本経済はデフレの大河を漂流するだけだった。

第二の立場の方が政策論はやりやすい。人間は知恵があるから物価現象などを制御できる。さらに広く、人類の幸せに向って政策は展開しうるし、成功する。本当か?戦争もハイパーインフレもしばしば生じている。失敗が多すぎないか!本書の中でも、政策者の誤り、失敗が語られているが、どうしてこうなるのか。

著者は、東大→日銀→東大というキャリアを持つエリートであるから、必然的に第二の立場をとる。それはよくわかる。

誰の予想か

本書には、予想とか行動というキーワードがしばしば登場する。それらは個人に属するものだ。個人が行動し予想し、せいぜいそれが集計されて“社会”の行動になる?しかし、個人のおかれている状況が、相いれない程に相違していれば、例えば収入に100倍も差があったら個々の平均に意味はない。

個人の行動変容が、そのまま集計されて同じベクトルの社会的変容になるとは限らない。むしろ、個々の合理的集合が反転して不合理な社会を形成する場合もある。

これはマンデヴィルに源流を持つ現代社会的ジレンマ論の知見である。

人々とは

本書には、しばしば、人々が登場するが、それは一体、誰なのか。人々の予想!日本の労働者に、将来、物価はどれくらいに上昇しますか、あなたの賃金はあがりますか、と聞いて意味ある答えが得られるだろうか。高給をもらっている人を除けば、物価の予想をするような状況にはないのが現状だ。

将来、物価が上昇する分を予想して賃上げ要求をして、それが実現する事例などあるはずもない。労働者は、労働者である限り、明日のために働くだけだ。行動は選択しているのではなく、ひとつしかない。明日も働くのである。

まとめ

本書は、著者の把握した謎から出発し、秀でた論理性と、また独自の調査(渡辺チャートが良い例)に基づいて作成された図表で構成された良書である。日本に、世界と交流できる高い水準の研究者がいることは誇るべきことだ。

望蜀の念をいえば、観念論的思考から少しだけでも離脱して欲しい。すぐに、政策的に役立ちそうなことを言わなくてよいから、物価論という専門分野からみて、日本の資本主義がどこに向うのか示して欲しい。

本書は秀でてはいる。しかし、行動科学と心理学の経済事象への応用にみえる。経済学に戻ってきて欲しい。

【追記】賃金について

年が明けて、日本は賃上げの大合唱だ。ただ、合唱団に参加していないメンバーが一人いる。それは、かつては重要な圧倒的な存在であった。その一人とは日本の労働組合である。

賃金は、本書でも主張しているが、政権の命令であげられるものではない。この問題に日本銀行はそもそも関係がない。経団連に所属している大企業のいくつかは要請に応じるだろうが、日本の99%である中小企業は賃上げなどできない。原資もない。金利が上昇するかもしれないのに借金はできない。結果、賃金でみた日本の二極化が進むことになる。交響曲『合唱』では、“友よ”の声がかかるが、大方の反応はない。賃上げの大合唱は「未完成」に終わるだろう。