行動変容
労働者に生じた行動変容は「労働の現場に戻らない」ことをアメリカの事例からつきとめた。そうなれば、工場等での生産は低下し、つまるところ供給不足になる。
消費者はどうか。恐怖心にとらわれ、在宅だ。対面を避ける。こういう時、もっとも減少するのはサービス需要だ。肩が凝っても、髪が伸びてもマッサージや散髪にはいかない。供給も需要も減るが、供給減は全般的であるのに対し、需要減はサービス面に片寄るから、また供給減が“モノ”づくり(物財:特に食糧やエネルギー)で大きいから、いつもとは違う、やや偏奇した物価高となる。
では、コロナ禍が去れば、元に戻るのか。著者は経済学で言う「傷跡効果」を持ち出し、そうはならないと主張する。エコノミストの中にはペント・アップ期待をする向きが多かったが、それに疑問を呈す。
年が明けて、日本の一部の観光地で外国人が増えている。しかし、それは3年間の我慢の反動であり、減少の基調は変わらないという見方になる。人は学習する。特に痛かったこと、苦しかったことは忘れないものだ。体の一部には、まだ傷が残っている。簡単には元には戻らない。
インフレインフレの考察に進む。著者は物価論の権威であり多くの著作がある。だからこの部分は要約して書かれている。その核心は次の引用に示される。
人々のインフレ予想は、物価の動きを決めるメカニズムの核心です。そしてインフレの制御とはインフレ予想の制御にほかなりません。(P.100)
これは本書を貫く主張の中心のひとつだが、その批評は後にまとめて述べることにする。
予想インフレそのものではなく、その予想の制御ということになって中央銀行に新たな機能が生まれてくる。物価は需要と供給で決まる。需要は金利の操作でコントロールできるが、供給は企業や労働組合を統制することができないので、中央銀行の思い通りにならない。だから、インフレが供給要因である場合は、従来はなすすべなしだった。
ところが、人々の予想ということになると話は別。世界中で実施されているインフレターゲットというのはまさに予想に枠をはめることだ。中央銀行が物価上昇は2%までと主張しているのだから、またそう思わせる手段を数々講じているから(大方は実際に何かをするのでなく、“やるぞ”という口先が主流だが)、人々はそうなるだろうと“予想”する。そういう誘導政策が可能になるのは、中央銀行が強い独立性を持っている必要があると、元日銀マンらしい主張も加えている。
もっとも、そんな体制はかなり前に確立していたのに、世界インフレは進行し、欧米ではターゲットを超えた物価上昇になってしまった。2021年初頭から政策者たちが頼りにしていた、フィリップス曲線が通用しなくなったからだ。それはなぜかという次なる謎を追って、ついに本書の唯一の公式に到達する。
公式この式の右辺を書き換えると、予想 - 需要 + 供給 となる。最後の供給(X)だけが統制できない。コロナ禍による供給制限が効いている。
供給制限を加速するのが脱グローバル化だ。コロナと戦争で“もうコリゴリ”の企業は、何が起こるかわからない国境の外の生産から手を引こうとするから、その分の供給は減る。そして貿易量も減る。1960年~2000年にかけて続いた貿易の対GDP比の拡大は止まった。
事態は行動変容に起因し、簡単に元には戻らないから、結局、インフレはしばらく続き「新価格体系」が定着するところまでいく。
以上は、日本を除いた世界の話。私達の日本はどうなのか。その現状と分析が第4章以下で展開される。
日本日本は、デフレ構造が修正されないうちに世界インフレに巻き込まれることになった。デフレとインフレが同居するのは一見奇妙だが、二つの病気は日本という国では住み分けている。
デフレは主に賃金に、そしてサービス価格に。インフレは輸入品を中心とする食糧とエネルギー分野である。後者・インフレの範囲は広い商品分野に拡大しようとしているが、賃金には及んでいない。これが現在の日本である。