いずれにしても、現教皇を批判した本を出版したゲンスヴァイン大司教は無傷では済まないだろう。バチカン教皇庁から追放され、ドイツ教会で空席となっている2つの大司教区のどちらかに左遷させられるかもしれない。ただ、改革志向のドイツ司教会議では保守派の任命には抵抗を示すだろう。教皇の大学で教授職を得るかもしれない。同大司教がフランシスコ教皇を過度に苛立たせたならば、彼は使徒使節として世界の遠隔地に強制派遣されるかもしれない。
ヘンリー王子の英王室批判、ゲンスヴァイン大司教のフランシスコ教皇批判も基本的には個人的な恨みがその原動力となっている。悪いのは相手で自分は正しい、自分は犠牲者だという思いが両者には強い。現代社会で席巻している犠牲者メンタリティーだ。
英王室の場合、社会からの批判に対して反論してはならない。ヘンリー王子の批判に対し、チャールズ国王もウィリアム皇太子も反論できないのだ。民主的社会ではフェアではないが、英王室の慣習だ。ヘンリー王子の中傷やフェイクに対しても沈黙しかない。フランシスコ教皇の立場も英王室のそれに似ている。教皇本人は論争に絶対加わらない。
著名な人物の暴露本は多くの読者を獲得する。特に、英王室やバチカン教皇庁といった閉鎖社会の内輪話に読者は好奇心を煽られるからだ。ただ、暴露本の話が全て事実とはいえない。なぜならば、暴露本を出版する側には明確な目的、狙いがある。ヘンリー王子もゲンスヴァイン大司教もやはり自分を追い払った王室、教皇に対する批判的な思いを払しょくできないだろうから、公平で客観的な記述は難しい。読者は暴露本を通じてこれまで知らなかった事実、情報を発見して驚くかもしれないが、フェイク情報、憎しみに基づいた偽情報にも出くわす。暴露本の読者はその点を忘れてはならないだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年1月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。