結果として日本は多数講和の道を選び、独立を果たした。だがもし朝日新聞の主張する「全面講和」を待っていれば、独立は大幅に遅れ、外交的にもソ連寄りとなり、日本は破滅に近い末路をたどったことだろう。

第二は日米同盟についてだった。1960年に日本はアメリカとの間で日米安全保障条約を結び、現在の日米同盟の基礎を築き始めた。

だが朝日新聞はこの日米安保条約に反対した。社説での正面からの反対というよりも、他の紙面をすべて動員しての手を変え品を変えの大反対だった。だが日米同盟が戦後の日本の選択肢として成功だったのか、失敗だったのか。その答えは明白である。

もし日本国が朝日新聞の主張に同調して、日米同盟に背を向けた場合、当時の東西冷戦の厳しさからすれば、どうしてもソ連寄りとなっただろう。そのソ連がどんな末路をたどったか。この点でも朝日新聞の主張は日本にとって大まちがいだったことは明白である。

だから日本は迷ったときには、朝日新聞の主張と反対のことをすれば成功するのだ。つまり朝日新聞は日本にとっての貴重な反面教師なのだ。その価値はやや誇張すれば国宝級である。

朝日新聞はその後もとくに日本の安全保障については日本に害を招く主張を続けてきた。いま全世界がその効用を認めるミサイル防衛にも朝日新聞は反対だった。次元は異なるが、日本の防衛庁を防衛省にするという案にも朝日新聞は反対だった。「そうすると日本は危険な軍国主義の道をたどる」というのである。

今回の日本政府の安全保障政策の転換にも朝日新聞は猛反対である。日本政府が苦労の末に決めた「反撃能力」の保持も朝日新聞は勝手に「敵基地攻撃能力」と呼称を変えることを宣言した。政府の公式政策の名称を一新聞が勝手に変えてしまうのだ。そしてその勝手な名称を日本政府の公式政策の名称であるかのように一貫して報じていく。

この独善は私たちが「朝日新聞」の名称を「反日新聞」と勝手に変えて、公の場で使い続けるという暴挙、愚挙に等しい。

朝日新聞は今回の「国家安全保障戦略」などの新採用への反対の理由として「熟議がない」「国民への説明がない」とも述べる。だが熟議も国民への説明も実際にはあったのだ。そしてなによりも、朝日新聞が熟議や国民の説明が十分にあったと判断すれば、政府の決定に賛成するのかを問いたい。なにがなんでも反対だろう。

その反対の本音に近いような部分では朝日新聞は「日本が軍事大国になる」とか「歯止めがなくなる」と主張する。核兵器も持たない、正規の軍隊もない日本がどうして軍事大国になれるのか。まして朝日が示唆する「日本が他国に一方的に攻撃をかける」というシナリオはどんな妄想でもあまりに非現実的である。

しかし朝日新聞が最も朝日らしい本領を発揮するのは「歯止め」という言葉の使い方だろう。防衛論議での歯止めといえば、普通ならば日本に脅威を与え、侵略や攻撃をしかねない敵側、潜在敵側の危険な動きに「歯止め」、つまり抑止のブレーキをかけることを意味する。