<事例1>B型肝炎訴訟
<事例1a>衆・厚生労働委員会 2009/04/01
山井和則議員(民主):大臣、このB型肝炎についての国の責任ということに関してどうお考えですか。
舛添要一厚生労働大臣:五名の方は最高裁の判決がありますから、これは当然、国の責任がある、要件が認定されたということで非常に重い責任があると思っております。
山井議員:五名の方の話をしているんじゃないんです。五名の方は、百四十万人の代表として裁判されているんです。飯野教授も、半数ぐらいは予防接種じゃないかと。五人だけが予防接種を受けたわけじゃないんですから、トータルのB型肝炎の方々の感染に関して国がどういう責任を感じているかということを聞いているんです。
舛添大臣:それは、どういう理由で肝炎になったかという証拠の確定がきちんとしなければならないので、そのために最高裁がそれを確定したわけですから、そこで国の責任が、例えば予防接種のたらい回しのようなことがあれば、これは責任であるということですから、証拠に基づく要件の確定がまずは前提だと思っております。
山井議員:私は、そういう答弁を聞いていると、昨年の薬害肝炎のあの和解は何だったんだと。要は、救済してほしかったら訴訟しなさいと。十八年かかって、その間にお亡くなりになられた方もおられるわけですよ。(中略)皆お亡くなりになってしまいかねないですよ。そうじゃなくて、やはり一日も早く和解に結びつける、これが薬害肝炎の教訓だったんじゃないですか。
麻生政権の舛添大臣の人格を非難した上で一日も早くB型肝炎訴訟に和解するよう涙ながらに求めた民主党・山井議員です。まもなく民主党政権が成立して厚生労働省の政務官に就任すると、まるで別人のような答弁を行いました。
<事例1b>衆・厚生労働委員会 2010/03/24
大村秀章議員(自民):山井政務官は野党時代、選挙の前、この厚生労働委員会で、この点について質疑をしています。その際「一日も早く和解に結びつけるのが薬害肝炎の教訓だったのではないか」「和解へ持っていく思いは持っているか」「厚労省は前向きに対応すべきだ」ということを、もう何度も何度も何度も何度も涙ながらに繰り返し訴えていました。今はどういう考えですか。簡潔にお答えください。
山井和則大臣政務官:薬害肝炎、そしてB型肝炎の問題、これは私も、命を守るのが政治の原点であるという思いでライフワークとして取り組んできましたし、政務官になって、これからもそういう思いで取り組んでいきたいと思っています。(中略)。B型肝炎の被害者の方々が適切な医療を一日も早く受けられるように、またその方々の救済のために、引き続き私は全力で頑張ってまいりたいと思っております。
大村議員:前段はもうわかっているから結構です。最後あなたが言われた一番肝心なところをぼやかそうとして前段を引っ張ったと思いますが、訴訟についてどうするのか。あなたは「和解すべきだ」「何で和解に持っていかないんだ」と散々言っている。その考えに変わりはないのか。
山井政務官:このB型肝炎の和解については多くの患者の方々に広がりがある問題と認識しています。だからこそ、一厚生労働省だけの問題ではなく、仙谷大臣にも調整役を担っていただき、首相官邸とも協議をしながら、今回、私たちは政府全体で取り組むという考え方を示して、今も鋭意その議論をしております。私も長妻大臣の指示のもと、また仙谷大臣の指示のもと、しっかりと取り組んでいきたいと思っております。
大村議員:あなたはこれまで、「国は和解に応じるべきだ、厚生労働省はそれに前向きに対応すべきだ、何で和解しないんだ」と言ってきました。そのお考えに変わりはありませんか。5月14日の期日までに和解をするようにということで行動されますか、されませんか。いかがですか。
山井政務官:原告の方々も一日千秋の思いで前進することを待っていると思っていますし、残念ながら、1日に120人もの肝炎の患者の方々が亡くなっています。これは本当に一刻の猶予も許されない問題だと思っております。だからこそ、(中略)。これは党派を超えて、ぜひとも、このことに関しては厳しく御指導そしてまた御指摘もいただきながら、一緒に党派を超えて取り組んでいきたいと思っております。
大村議員:和解に向けて行動するのかしないのかと聞いているんです。イエスかノーか、言ってください。
山井政務官:この和解に関してはさまざまな論点があります。
山井議員は、大村議員の「和解に向けて行動するのかしないか」という二者択一の質問に回答することなく「この和解に関してはさまざまな論点があります」と回答しました。この答弁は極めて妥当です。
国家権力である行政機関は、法の支配によって行動する義務があるからです。ただし、そのような義務があることも無視して、舛添大臣の人格を無責任に非難していた山井議員は完全に倫理違反を犯していました。