軽視できない非対称戦の重要性とIT人材の活躍
フェドロフ氏やIT軍の活動は直接ロシア兵を殺傷しているわけではないため、中には「実際にロシア軍と戦闘を繰り広げている陸軍や空軍を補佐しているにすぎない」という見方をする人もいるでしょう。
しかしながら、フェドロフ氏やIT軍が取り組んでいるのは単なる“補助活動”にとどまるものではなく、(たとえロシア兵を殺傷しなくとも)ロシア軍の戦力を直接的に削る“非対称戦”にあたると筆者は考えています。
今から2500年前、内戦を繰り返していた時期の中国で著されたとされる『孫子』の兵法においてはすでに、「敵の軍団を潰滅させるよりも敵国を外交的に孤立させたり、補給を絶ったり、輜重(食糧や武器弾薬)を失わせて戦えなくするほうが上策」「他の手段で戦力を失わせることが出来ない状況に限り、やむなく敵の主力や城塞を攻撃するべき」という趣旨のことが記されています(『新訂 孫子(岩波文庫)』謀攻篇 第三)
『孫子』を考案したとされる孫武は「呉越同舟」という諺の語源ともなった呉の国の将軍だったという説が有力ですが、春秋戦国時代にあたる当時の戦争においても、大軍を維持するための食糧や武器を運ぶ輜重隊がダメージを受けた場合、たとえ戦闘部隊の主力に死傷者がいない状況であっても戦闘不能の状態となり、退却せざるをえなくなってしまうため、あえて決戦を行わずに相手の補給部隊を狙って襲うという戦法が多用されていたようです。
近代に入って行われた太平洋戦争を見ても、当初は軍艦・戦闘機の数では優勢だった日本側が「敵の戦艦・航空母艦といった主戦力と決戦して潰滅させること」にこだわったのに対し、米国側は「日本と東南アジア等資源地帯を結ぶ輸送船団の破壊」に力を入れた結果、艦隊を動かすために必要な燃料を確保できなくなった日本側の艦隊は、急速に活動能力を失い、“海に浮かぶ鉄クズ”と化していった、という、日本側にとって苦い事実があります。
ウクライナIT軍の作戦行動も、まさにこの「敵を直接殺傷する」以外の「補給断絶」「敵戦力の無効化」「外交における孤立」を狙った行為であり、単なる“補助活動”ではなくれっきとした“戦闘行為”いわば“非対称戦”に相当すると言えるでしょう。
従来の戦争では、このような“非対称戦”もほぼ正規軍によって行われていたのですが、今回の戦争では民間人が非対称戦に深く関わっているのが特徴です。
情報通信技術の急速な発達に伴い、(相手の補給源を狙うにしても)必ずしも物理的に破壊する手段に頼らず、サイバー攻撃などの手段を活用したほうが効率的に行える場合も増えてきている状況です。
こうなると、プロの軍人ではなく民間のIT人材であっても、効果的な破壊活動を行うことが可能となります。
実際、IT軍はロシア国内や隣国ベラルーシの鉄道網を攻撃目標に含めており、ロシア軍の増援や武器輸送の妨害を狙っているとされます。
国土が東西に広いロシアにとって、極東方面から欧州への輸送を担うシベリア鉄道をはじめとした鉄道輸送に支障が出れば、兵員や物資が戦場に届くのが遅れてしまい、多大な損害が生じることになります。
今後、「民間のIT人材が正規軍並の活躍を見せている」ウクライナでの戦争を教訓に、米国をはじめとした各国の軍隊組織の中でもサイバー戦用部隊の養成に力を入れることになるはずです。
しかしながら、実際の有事となった際には、「職を失う心配のない」軍隊という公務員組織よりも、社の存続をかけた競争が日々行われる民間の競争の中で揉まれた人材のほうが、より先端的かつ実践に即した知見を持っていると考えられます。
実際、これまでは「世界トップクラスの実力を保有している」とされてきたロシア軍のサイバー部隊が、民間人を主体としたウクライナ側を相手としたサイバー戦で劣勢となっている今日の状況も、やはりIT分野の能力に関しては民間が優位であることを示唆していると言えるのではないでしょうか。
日本においても、おそらく自衛隊の中でサイバー戦のための能力向上を目指すことになると思われますが、やはり有事の際には民間のテック人材のほうが活躍する事態が想定されるため、自衛隊でサイバー戦の強化を進めるだけではなく、民間のIT人材の登用や連携強化に取り組む必要があるでしょう。